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憎しみの連鎖という呪い

あんたも日々の戦争のニュースに心を痛めているかい?

老若男女の感情が溢れ出すようなニュースが日々流れているけれど、現実的にどうすれば良いんだっけ?って話につなげられる話は流れてこない。

そらそうだ。
だって、今のこの状況をどうなってほしいのかってことを語れるヒトなんてほぼいないんじゃないか?

それほど状況が入り組みすぎていて、ただただ起きている悲惨な出来事に俺たちは感情を振り回されていると思う。

今回は、「ぶっちゃけどうなってほしいのか」って自分の感覚を整理してみる回だ。

出来るできないはおいておいて、俺たちは何を望んでいるのかってのを考えてみようぜ。

どういう状態が理想なのか

今のウクライナで起きているカオスな状態に対するニュースを眺めながら、ただただ「悲惨」という言葉だけで俺たちは状況を眺めていると思う。

もちろん寄付だとか自分が出来ることをしているヒトも多くいると思う。
ウクライナ国内での悲惨な状況もそうだし、ウクライナ国外に脱出できたヒトも満足に寝る場所も確保できない状況が伝えられているよな。

そんな悲惨な状況を打破したいって思うのは多くのヒトが感じていることだと思う。

じゃあさ。
打破した状態ってのはどういう状態なんだ?

戦争が終わればいい?
その後のロシアのヒトとウクライナのヒトはどういう感情でお互いと付き合っていけばいい?
そもそも国際的に信頼を大きく失墜してしまったロシアという国と俺たちはどう向き合っていく状態が理想なんだ?

例え、今の戦闘状況が改善されても、当事者たちの感情ってのがヒトという生き物である以上は完全にもとに戻るなんてことはありえない。

そもそも今の「戦争」を「終戦」することすら出来ない。
だってロシアは「開戦」すらしていないんだもんよ。
宣戦布告をしていない以上、終戦協定なんて結べない。
出来るのは戦闘状態を収束させるって言う法的には意味がよくわからない状態だけだ。

憎しみの連鎖

もう、そう考えてくると、とある作品のセリフが思い起こされる。

「殺されたから殺して…
殺したから殺されて…
それで最後は本当に平和になるのかよ!」

出典:機動戦士ガンダムSEED

今回の戦闘状態ではわけがわからないくらいの命が奪われている。
ロシアでもウクライナでもだ。

奪われた命はほぼ確実に他の命との関わりを持っている。
それを失ったヒトが憎しみの感情にとらわれてしまうのは確実だ。
ヒトはそう言う生き物なんだから。

親が、家族が、子どもたちが誰かに「意思」を持って命を奪われる。
その状態に対して感情を動かさずに済むようには俺たちは出来ていない。

もぉさ。どうすんだよ。
命は奪われてしまったんだぞ。

生贄で感情を抑え込む

歴史上でも数多くの戦いが繰り返されてきた。
当然そこには怨嗟を連続というものも含まれる。

じゃあ、俺たちの祖先たちはどうやってその怨嗟の鎖を断ち切ってきたのか。

例えばほんの77年前まで、日本はアメリカと血みどろの戦争を繰り返していた。
究極的な原爆なんてものまで使われて多くの民間人を含めた命を奪われた。

ところが、今の日本人はアメリカに恨みを維持しているか?
そら一部にはそう言う感情を維持しているヒトもいるとは思うけれど、極一般的にはアメリカは「同盟国」で恨みの対象として認識されていないと思う。

どうやって俺たち日本人は恨みの連鎖から抜け出すことが出来たんだ?

おそらくは教育なんだよな。
俺自身は全く賛同できない話だけれども、戦後の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」ってやつがこの感情の連鎖を防いだって側面があると思う。

要するに戦勝国が「俺たち悪くないから。オマイラが戦争仕掛けたのが悪かったんですぜ」って教育を戦敗国に押し付けたってやつだ。

じゃあ、こんなん今の情報化社会で可能なのか?
いやいやいや、無理だ。
ってかこんなんやったら、それこそ国際社会から非難轟々ってやつだ。

そう考えてみると、今回のこの戦闘状態を作り上げた「悪者」をでっち上げて、その上で「裁かれた」って話にするしか無い気がする。

そんな生贄を捧げなければ、俺たちは感情を抑え込むことは出来ないんだろうか。

なあ、あんたはどう思う?

どうすれば俺たちは「みんなで幸せになる」ことが出来るんだろうな?

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