夢中になることと生き残ること
あんたはなにか趣味をもっているかい?
子供の頃はあれほどハマっていたゲームも、夢中で見たアニメや映画も今はそれほどの情熱を傾けられていないんじゃないか?
今日はオッサンになると失われがちな「夢中になる力」の話だ。
俺が子供の頃にハマっていたのは、その時々のゲームだった。それこそ小学生の頃はエポック社のカセットビジョンなんてもので遊んでたし、ファミコンにスーファミ、プレステにいたっては無印から3まできっちり買っていた。
なに?カセットビジョンなんて知らないって?
あんた、さては若いな?
まあ大昔の家庭用ゲーム機だと思ってくれ。
で、その夢中になって遊んでいたゲーム。最近はチョコチョコ携帯で麻雀やるくらいしかやらなくなっちまっていることに気づいたわけよ。
なんでだ?あれほど好きなゲームに夢中になれなくなったのは。
そこで俺は考えた。その理由ってやつをさ。
(1) 忙しくてそれどころじゃない
(2) 家族とのやり取りで家の中で一人になる時間がない
(3) 楽しむことが「悪いこと」みたいな感覚がある
まず(1)だが、なんとなく言い訳がましいよな。
実際時間なんてものは作れば作れるわけだし、要するにゲームにかける時間がもったいないって思っているのが実態なのかもしれない。
ただ、もうちょっと考えてみるとゲームには「まとまった時間」が欲しくなるってのがあるような気もする。
昔から好きなのはRPGなんだが、RPGはやり始めるととことんやりこんで行きたくなるものが多い。
ただひたすらに経験値を稼ぎ続ける快感って分かるやつには分かるだろうけど、興味ないやつには全く通じないんだろうなぁ?
あんたには分かるかい?
で、まとまった時間ってやつほど、こさえるのが難しいものもない。
なんでかって?そこで出てくるのが(2)の理由さ。
結婚して子供もいるとなりゃ~、そっちのイベントを最優先にしないと色々とギクシャクしたりする。まあ、面倒なコッタ。
まあ、オッサンの1年と小学生の1年は意味が違うからな。ある意味仕方ない。
この辺の感覚が(3)の理由につながっていくんだろう。なんとなく自分のことを優先することに引け目を感じる様になってきている。
妻のため、子供のため、両親のために動くのが当たり前。そんな感覚、あんたにもあるかい?
なんでそんなに我慢してるんだって?
まあ、きっと我慢できるからじゃないか?
ただ、この我慢する能力ってのは、実のところ今の世の中を渡っていくのにちょっとばかり不都合が出てきている。
それは今まで通りってことに痛みを感じにくくなっちまうってことさ。
俺たちの手元にインターネットが来てはや30年近くの月日が流れている。インターネットが使えるようになる前と後じゃあ、世の中の変化の速度が何倍も違う。
あんたもそう思わないか?
で、その変化しまくっている世の中で「今までどおり」に過ごそうってのは、実はリスクの塊だ。
変化に対応できないものは生き抜くことができない。
これは生き物の鉄則だよな。
つまり今の俺たちは変化に対応できるような神経のしなやかさを失ってしまっているってことなのかもな。
だからこそ何かに夢中になる心を取り戻したい。このnoteがそのきっかけになるといいんだがな。
なあ、あんたはどう思う?
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