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私の履歴書④ その後、現在

こんにちは、某大手経済新聞の劣化版パクリ連載最新回です。
過去の記事は以下からご覧いただけます。


鬱、休職、そして退職(IT企業その3 続き)

前回その③で、クラウドストレージのITベンダーにてアメリカ本社転勤の内定を得たところまでお話しました。これが2020年1月の出来事です。
以前別の記事でも少しだけ触れたので察しのついている方もいらっしゃるかもしれませんが、結局この会社は退職してしまいました。

そもそも2020年はパンデミックが多くの人に困難をもたらした1年でした。普段から外に出かけたりお酒を飲んで気晴らしをしていた人にとっては相当きつい毎日だったと思います。
陰キャの私にとっては、もちろん感染症の流行自体は望んでいた状況ではありませんが、毎日家で仕事ができるのは最高に快適でした。
一方で、申請予定だった社内転勤ビザ(L-1)はおろかDVビザの手続き・発給も完全に止まるという事態に陥り、ビザ関係のストレスは極限に達していました。

そんな中、仕事で不測の事態が起こりました。担当した顧客からのハラスメントです。もう思い出したくないため詳細は割愛します。
情けない話ですが、ビザのことで既に不安定だった精神状態にこの一件がとどめの一撃となり、私の健康状態はどんどん悪くなっていきました。

そしてある日ベッドから出られなくなりました。
それまでは嫌でも朝になれば起きて歯を磨きお風呂に入り、なんとか仕事を始めていましたが、この時は
「起きたくない。ごはんも食べたくないしお風呂も入りたくない。誰とも話したくない。とにかく何もできない」
という状態になりました。それまでも嘔吐やひどい頭痛などの症状はあったのですが、この時はそういった身体的な不調を超越して
「もう私は動けない」
という固い決意のようなものに全身が支配されていました。変な表現ですが、自分の中にゴツゴツした巨大な岩みたいなものがどっかり鎮座しているような感じです。
話を早送りしますと、その後病院でうつと診断され、薬物療法や行動療法、医師のすすめで休職もしましたが快方に向かわず、結局2021年の年明けに退職を決意しました。

もちろん迷いました。この時点ではまだDV-2021の行方は予測がつかず、本社転勤によるL-1ビザも保険として取っておきたい気持ちがあったからです。ただ、私は家族を早くに亡くしている経験上、健康の重要さを人よりもよく分かっていました。このままストレスをため続け、お金やビザのために体を壊して早死にしたら本末転倒だな、という考えに最後は辿り着きました。
お金だってビザだって美味しい食べ物だって大事な家族だって、何もかも健康な体で生きていられるからその価値にあやかることができるのです。

そんなわけでL-1ビザの道を完全に断たれた私は、是が非でもDVビザの取得を成功させなければならないという強い闘志をもってこの後の数か月を過ごすこととなりました。

転職(IT企業その4)

あんなに苦労して入った愛すべきIT企業その3を鬱で退職した私ですが、多額の貯蓄があるわけでもないので働かずにいるわけにはいきません。とはいっても病み上がりですし、せっかく寛解に向かっているのにまたストレスをためて鬱になるのは避けたいという思いがありました。それで今度は内勤の仕事を探すことにしました。
内勤の仕事が楽だとか簡単だというわけではないですが、内向的な性格の私にとって外部顧客との接触から解放されるだけでもかなり負担が減ります。それと同時に給料も減るのですが、それで健康に楽しく生きられるのならそっちを取ろうじゃないかという気分でした。
1か月間ほど就活をし、IT企業から何件か内定を得て、そのうちの1社に2021年4月に入社しました。以前の記事で書いた「IT企業その1」と似たような、製薬向けのソフトウェア企業です。ポジションはオペレーション(事務)。
想像に難くないと思いますが、ここも米国を本社とする外資です。
(私のような不埒な人材は日本企業から洟も引っ掛けてもらえません。)
とてもドライな社風で、かつ完全リモートが許可されているという点も相まって非常に働きやすい環境でした。あれこれ干渉されることもなく、自分の家で自分のペースで仕事ができるのは私にとって理想的な環境です。

この会社で仕事を始めた2021年4月の時点では、まだDVビザの行方ははっきりしていませんでした。確かちょうど訴訟(Goh対国務省)への参加を決めた頃じゃないかと思います。ビザが取れなければこのまましばらく日本にいることになるんだろうな、もし運がよければまた今の会社で転勤ビザのサポートをしてくれないかな、ということもなんとなく考えていたくらいです。
やがて7月に入るとビザ面接の予定が決まり、8月の終わりには申請が承認されて9月初旬には移民ビザが届きました。そして10月半ばにグアムで初回入国を済ませて米国永住者となりました。つまり入社から7か月経ったころには状況が一変したわけです。

移民ビザを取得し、永住権もほぼ確実に取れるだろうということが分かってきた2021年の夏ごろから、上司や人事にはそれとなく
「近い将来米国に引っ越すことになるかもしれない。その時はできれば今の仕事をそのまま続けたいので、国をまたいだリモート勤務が可能かどうか検討してほしい」
と打診してみました。というのも、この会社は社員が希望すれば勤務地は問わない、完全リモート可という就業ルールになっていたからです。まだ入社して半年くらいのペーペーですのであまりぐいぐいと要求を押し付けることは憚られましたが、辞めずに続けたいから協力してほしいんですよ、という雰囲気は匂わせようという作戦でした。

私たち夫婦は移住先の土地として常にニューヨークを第一選択肢にしていました。アーティストの夫にとってニューヨークを目指すのは至極自然な流れですし、私は子どものころにアメリカ横断ウルトラクイズの決勝を見て「いつかここに住もう」と決めていました。馬鹿馬鹿しいですが、率直なところそれが一番の理由です。当ブログではこれまであれこれと偉そうなことを書いてきましたが、実のところ私はその程度のテキトー人間です。
で、ニューヨークというのは皆様ご存知の通り世界でもトップクラスの物価高を誇る大都市です。部屋を借りるのだって容易なことではありません。これはいろいろ調べて分かったことなのですが、ニューヨークでは安定収入や財務面での信用(良好なクレジットヒストリー)がないと大家さんが部屋を貸してくれません。つまりニューヨークに住もうと思ったらそれなりの収入を見込める仕事を確保しておくことはほぼ必須条件です。そのため渡米する前になんとかアメリカでの仕事を見つける必要があったわけです。

そんなわけで、今の会社でのポジション、収入を維持したままニューヨークに移れれば理想的だと思い、会社側に米国での就業希望をやんわり伝えてみたのです。しかしどうやら実現の可能性は低そうでした。
そもそも日本支社の社員として働くのであれば1年の半分以上は日本に居住していなければならない、という決まりがあること。
そしていくらリモート勤務可能と言ってもアメリカの時間帯で日本の仕事はさせられない、なぜなら過去に似たような就業形態を試して失敗したことがあったから。
この2点がネックになり、今の日本でのポジションをアメリカ移住後も保持することはできないだろう、ということがはっきりしてきました。
そうであれば米国本社で採用しているポジションに社内異動の応募を出すしかありませんので、自社の求人サイトをちょくちょく覗くようにしておりました。
するとある日「これは私のために作ったポジションか?」と言いたくなるような求人が出てきたではありませんか。なんでもニューヨーク近辺で日本語を話せる営業を募集しているというのです。
以前どこかでも書いたかもしれませんが、私はとにかく営業という仕事がひたすら向いていません。商材がなんであれ、ものを売るということがまっしぐらに下手なのです。でもニューヨークで日本語を話せる営業の募集なんてそんなに見つかるもんじゃありません。しかも自社内での話です。
早速この求人を出している担当者に連絡を取ってみたところ、Zoomで面談することになりました。先方も社内の日本人がこの求人に反応するだろうとは思っていなかったようで、かなり乗り気なようでした。
が。話してみたところ、私は無理だということがすぐに分かりました。というのも、この人の要求するレベルが尋常じゃなく高いのです。
日本語が話せて営業経験があり製薬業会での就業経験がある、その程度の要件かと思っていましたが、実際は以下の条件を満たす人材を求めていると言われました:

  • 日本語が話せる(ビジネスー母国語レベル)

  • 営業経験がある

  • 製薬業界での開発業務、治験プロジェクト経験がある

  • 治験まわりの業務ITに詳しい

  • アメリカに支社を置く日本のファーマ(T田、明日照らす、題壱酸強、死御之戯などなど)の開発部門とコネがある

3つ目の前半くらいまではまあギリギリ要件を満たしていると言えなくもないですが、それ以降はお手上げです。
負け惜しみにしか聞こえないこと覚悟で言いますが、これ満たす人材ってニューヨークにいますかね?仮にいたとして、この大退職時代にこんな驚異的人材がわざわざこの求人に応募してくる確率ってかなり低いと思うのですが、実際のところどうなんでしょう。

そんなわけで、会社内での異動は残念ながらちょっと難しそうだな、ということが分かってきたため、2021年10月の下旬ごろから仕方なくまた就活を始めたのでありました。
IT企業その4に入社してまだ半年程度、圧倒的不満があったわけでもなく退職したいという意思が強かったわけでもないので、入社後いくらも経たないうちにこうして就活をしているということに大きな罪悪感をおぼえ気持ちが沈みました。が、背に腹は変えられません。心を鬼にして仕事探しに励む日々が始まりました…。


次回の記事では、日本にいながらどのようなツールを使って就活をしたのか、結局仕事を見つけることはできたのか、をお話したいと思います。
今回も無駄に長い記事になりましたが、ここまでご精読いただきありがとうございました。

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