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心の距離

人付き合いの中で、人は無意識に相手との心の距離を保っている。好感を持っている相手とは心の距離を縮めたいと思うし、逆に興味関心が無い相手に対しては一定の距離を保とうとする。

互いに心を開いた関係

本来、多くの人は好感を持つ相手にはお互いに心を開いて、承認欲求を満たしたり、自己肯定感を高められる存在としてリスペクトしあうなどの関係性を求めている。それが互いの満足感を充足することになるし、それを望んでいるはずである。

ところで、子供たちはなぜすぐ友達になれるのだろうか。それは、お互いに純粋であり、何の障壁もなく精神的に自己開示ができるからだろう。ところがオトナになり、社会的な人格形成がなされる過程でさまざまなバイアスがかかるようになってくる。そして、自分の周りの人間関係、家庭環境など自分を形作る環境が複雑になってくる。

そのため、自然とリスクを考えるようになり、自分で自分の振るまいを制約し、自分の本音は胸の奥にしまい込み、相手によって付き合い方を計算しながら自分を演じるようになる。そういった日常に慣れ親しんでしまうと、それが身についてしまい、無意識のうちにそういう態度を取るようになってしまう。

しかも、本人の本音はもっと本当の自分を知って欲しいと願っているにも関わらず、自分をしまい込んでしまう。そんな窮屈な日常を多くの人が自覚しながら生きている。そして何かに怯えながら生きてゆくのだ。

何を大切にするべきなのか

振り返って考えてみて欲しい。自分が思う自分らしさというものは何なのか、また、周りの人たちがいて自分がいる。そして、相互に存在を認め合って過ごす人生がもっとも自分らしい生き方に繋がることを。それを誰もが願っている。それを今の日常とのギャップを感じているのなら、あなたは決して満足のゆく日々を送っていないかもしれない。

自分の両親や、家族以外の誰かに自分のことを素直に話すことができ、それを傾聴し共感してくれる存在は誰か、そういう存在を必要としているのか。自分のことを大切に思ってくれる人は誰なのか。

少しでもそんな本来の自分に近づけるようになるためには、どうしたら良いのだろうか。

自己開示のための処方箋

子供たちのように無意識に自己開示をするのは難しい。しかし、自分が好感を持っている人に対しては、それを素直に伝えることをオススメする。そうしたい自分、そうした自分の気持ちがあることを。

通常は、言葉にするのもおこがましく、恥ずかしくもあり、相手から断れるかもしれないという弱い自分がいるはずだ。

少しの勇気を持って、それを言葉にして相手に伝えるのである。当然、相手との心の距離感が少し他の人と比べて近いという見込みがあった方が良いかも知れない。

そのうえで、軽くちょっとした会話の中で、さらっと話してみるのである。そうすると相手は意外に喜んでくれるはずだ。それをきっかけに少しずつ自分の思いや考えを伝えてみるのである。

いつしか、自然に自分の心が開かれて、等身大の自分を感じつつ会話がはずんでゆくはずである。多くのオトナはいつも相手との間をはかり、互いに牽制しあい、結局物別れに終わるような関係性に終始している。

そんな関係から一歩踏み出す小さな勇気を持って欲しい。そうすれば、これまでとは違った風景が見えるかもしれない。

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