スクリーンの中の女性たち
私が映画を見る理由はたったひとつで、それは「そんな目で私を見ないでくれ」という強い感情を掻き立てられたいから。
そんな目で私を見ないでくれ、の理由は様々だ。
あまりにも可愛くて好きになっちゃいそうだから。自分の醜いところを見透かされているような気がしてしまうから。もう会えないあの子のことを思い出して辛くなってしまうから。
私はスクリーンを隔てた傍観者だったはずなのに、映画の中の彼女たちの鮮烈な視線が突き抜けてきて、身体がその場に固定されてしまうことがある。その瞬間のためだけに、私は映画を観る。
特に印象に残っている"スクリーンの中の女性たち"について書いてみようと思う。
※ネタバレの可能性があります
アメリア(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)-『ターミナル』
空港のロビーの床で滑って転んだ所を助けられたのが縁で主人公のビクターと知り合う、ユナイテッド航空フライトアテンダントのアメリア。
とにかく目が綺麗で、潤んだ瞳に光が取り込まれて輝いている。壮大な自然の風景は見る者に理屈抜きの感動を与えるけど、アメリアの瞳にもそんな力がある。スクリーンに彼女の顔が大きく映し出された時にあまりにも美しくて、頭の中に清々しい風が吹き抜けて、それまで浮かんでいた考えや日々の鬱屈とした感情が一掃された気がした。ウユニ塩湖を初めて見た人は、きっとこんな気持ちになったんじゃないかな?
アメリアは不安定かつめちゃくちゃな女だ。
本当は39歳だけど、33歳だとサバを読んでいる(デートする男には27歳だと教えることさえあるらしい)。5秒と1人でいられないほどの寂しがり屋で、ご飯は誰かと食べないと嫌だという。初対面で数分話しただけのフランクをそのまま食事に誘ってしまうほどだ。既婚者の男と不倫していて、もう長いこと鳴っていない連絡用のポケベルを肌身離さず持ち歩いている。フランクと話している内に、もう吹っ切る!とその場の勢いで妙に高揚してポケベルを滑走路に投げ捨ててしまう。その癖やっぱり寂しかったのか、不倫相手の元に戻っていく。
友人にこんな女がいたら、ほとほと呆れてしまって「二度と私の前でその男の話をしないで」と言ってしまうと思う。理解不能だ。でも嫌いになれない。きっと彼女が単に恋愛体質なのではなく、何か大きな波、彼女の中の凄まじいほどの感情とエネルギーを彼女自身が持て余してしまっているのだろうという感じがするから。
フランクと空港内の本屋さんで出会した時に、「歴史の本をよく読むの。安くて、長くて、男たちが殺し合うから。特にナポレオンが好き」と何気ない口調で言っていて、それで私は完全に彼女に参ってしまった。なんて面倒臭そうでチャーミングな女性なんだろう。
ミキ(蒼井優)-『クワイエットルームにようこそ』
主人公の明日香が入院させられる閉鎖病棟にいる拒食症の少女、ミキ。
コメディタッチで描写される閉鎖病棟の患者たちの大騒ぎの中で、ミキはいつも落ち着いていてクールだ。「私はこの人たちとは違うんだから」とでも言いたげな不遜な表情をよくしている。でも、ミキのそういう態度は、本当にギリギリのバランスで彼女が積み上げているものなんだろうと感じさせる。
私は思春期の不安定さ、繊細さの表現として『ガラスの十代』の「こわれそうなものばかり集めてしまうよ」という歌詞以上に的確かつ美しいものはないと思っていて、このフレーズを聴く度にミキのことを思い出す。彼女の抱えている問題は単なる思春期では片付けられないけど。
ミキは自分が拒食症になった理由を明日香にこう語る。
私が一食食べた分、世界のどこかの価値のある誰かの食事が一食減るんだ。
そのシステムに気づいちゃったから、だから私は食べられないの。
私が食べないのは意味があることなんだよ。
私は昔から"学校のお勉強"がよく出来た。でもそれは両親が高水準の教育を受けさせてくれて、私が興味のある本は全て買い与えてくれていたからに過ぎない。お気に入りのシルクのブランケットに包まれながら図鑑を眺めている時、模試で志望校の判定がAだった時、私は自分が不当に利益を得ている気がして苦しくてたまらなかった。そういった考え自体が傲慢だと思いながらも、私が過剰に受けている恩恵を誰かに分配できたら良いのにと祈った。
ミキを見ていると、あの頃の息ができなくなるほどの切実さを思い出す。全てを抱きしめて大事にしたいような、他人も自分もめちゃくちゃに傷つけて壊してしまいたいような、混乱の中ですり潰されそうで、全部投げ捨てて諦められたら楽なのに、それでもやっぱり手を伸ばして必死で何かにしがみついていていた、あの頃の自分を。
ブレンダ(エイミー・アダムス)-『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
天才詐欺師のフランクが後に偽医師として潜り込む病院で働いている新人看護師のブレンダ。
ブレンダは初登場シーンで、採血管にラベルを貼り忘れてしまって叱られたとかで、泣きじゃくっていた。感情表現が豊かで、無防備で、放っておけない感じがする。制服が赤ストライプで、なんだかアメリカンダイナーの店員さんのようでキュートだ。歯列矯正中で、爪先で歯をかちゃかちゃ触るところが子どもみたい。
矯正が終わった時に、フランクの元に跳ねるように走り寄って口をイーッとして歯を見せるシーンがすっごく可愛い。「つい舌で触っちゃうの、つるつるしてて」みたいなことを言いながら歯列をなぞる。この直後フランクが思わずといった感じでキスするんだけど、本当に気持ち分かる。
無邪気で表情がくるくる変わる少女と、少し悲しみやすくて激しい女性が同居している感じで、一緒にいて飽きなさそう。「この子を泣き止ませて、笑顔が見られるならなんだってする」と思わせるような女性っているけど、ブレンダは間違いなく私にとってそうした女性の1人だ。
彼女と2人きりで、森の中の小さなロッジで毎日ブルーベリーパイとかを食べて暮らせたらなぁ。たまに見かけるリスに、一緒に名前をつけてあげたりしたい。
タマ子(前田敦子)-『もらとりあむタマ子』
大学卒業後に就職せず実家に戻って、ぐうたらと日々を過ごすタマ子。
構想段階でストーリーの決め手になったのが「ダラダラしたあっちゃんは可愛いに違いない」という妄想だった、とプロデューサーが言っていたが、まさにその通りだ。ダラダラしたあっちゃんは可愛い。
ニュースを見ながら「ダメだな、日本」と自分を棚に上げて悪態をつく。父親に、いつ就職するんだとチクチク責められて「…今はその時ではない!」と生意気そうに唇を突き出す。突然アイドルになろうとしてオーディション写真を撮りに行くものの、バレて恥ずかしくなってしまい不貞腐れて結局やめてしまう。近所の中学生にお姉さん風を吹かせるものの「あの人、友だちいないからな…」とうっすら同情されている。
タマ子ってダメダメだなぁと思うけど、憎めない。
あっちゃんがそこにいると、「あっちゃんがそこに存在してる」のではなく「そこが"あっちゃんが存在している空間"になる」という感じがする。そして、"あっちゃんが存在している空間"にあるものは、風景でも人物でもなんでも、いつもより鮮やかで魅力的に見えるような気がする。
計算なのか自然体なのか、楽しいのか退屈なのか、この後どんな表情で何を言うのか、全然分からない。エキセントリックな人物像でもないのに、いつもこちらの予想からするりと抜け出していってしまう。目が離せない。
ぐうたらでぶすくれているタマ子が、怠惰で生意気だけど可愛い図体のでかい猫みたいで、つい見守りたくなる。
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