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【青森旅行記:後編】絶望するな。

前編はこちら

金木まで

走れメロス号。走ってなかった。

五所川原からは津軽鉄道に乗り、斜陽館のある金木へ向かう。その時は走っていなかったが「走れメロス号(津軽鉄道津軽21形気動車)」の車両があり、遂に太宰の故郷に向かうんだなあ…と気分が高揚する。津軽鉄道にはアテンドさんが同乗しており、車窓から見える景色などについて説明してくれる。「五農校前駅」に差し掛かったところでアテンドさんが「ここには五所川原農林高校があって、日本で2番目に広い農業学校なんです!なんと東京ディズニーランドと同じくらい大きんですよ」と言っていた。デカすぎる。農業高校と比べるものでもないが、普段関東の狭っ苦しいワンルームで高い家賃を払っているのを思い出し(全てが憎い…)と修羅の顔になってしまった。ディズニーの大きさを調べてみると、東京ドーム約11個分だそうだ。私は東京ドームに行ったことがないのでいまいちピンとこないが、まあとにかくデカいんだろう。敷地面積の比較対象としてしっくりくるものって一生見つからない気がする。

金木が近づいてくるとアテンドさんが「実は金木はある有名な方の故郷なんです!誰のか分かる方いらっしゃいますか?」とクイズを出してきた。太宰でしょ?それ知らないで乗ってる人いる?と首を傾げていると「ヒントは、とある歌手の方です!」と続いた。え、太宰じゃないんかい、と考えていると「答えは、吉幾三さんです!」とのことだった。吉幾三…。じゃあ「おらこんな村イヤだ」って言われてるの金木ってこと?金木に向かってるのにそのクイズやめた方が良いんじゃない?と混乱する。これも"現実"という感じがする。苦しくて逃げるように旅に出たとしても、こういうところで現実に襲われるのだろう。現実からは逃げ切れられないのだ。

太宰治疎開の家

遂に金木に到着。
斜陽館のすぐ近くには「新座敷」と呼ばれる離れがあり、疎開した太宰が『パンドラの匣』『親友交歓』『トカトントン』などの作品を執筆した書斎にも入ることが出来る。新座敷には管理人の男性と女性がいて、その男性のガイドがとても良かった。太宰の家族関係や作品が書かれた時などについて丁寧に説明してくれて、この人本当に太宰が好きなんだなあ…と少しうるっときた。女性の方が困り顔で「ゆっくり見たかったら言ってくださいね。この人いつもこうなんです…」と言っていて、なんとも微笑ましい。その人が「太宰の父親は大地主で金融業にも手を出してたんですよ。この辺り一帯の地図を作っていて、商売をやってる人にとっては広告も兼ねてるみたいな感じだったんですけど、それでその父親は、返済が遅れていたり気に入らない奴の家はこの地図に乗せてやらないぞ〜、みたいなこともしていたんです」と教えてくれて、親父ヤバ…と戦慄した。

新座敷の外観

斜陽館を訪れる前にSの希望で「津軽三味線会館」で三味線の公演を見た。私は音楽に対しての感性があまりなく、その良さを表現することができないのだが、とても良かった。正直地味な感じを想像していたのだが、ベースソロみたいで格好良い。この津軽三味線会館では、斜陽館にも入れるセットのチケットが売られていたので、そちらを購入した。

斜陽館の真向かいにある物産館「産直メロス」のメロス食堂でお昼ご飯の牛丼を食べる。はっきり言ってメロスは全く関係がない。太宰ゆかりの土地だからと言って、せめてもう少し本人とか土地に関係する内容の小説から取れば良いのにと思うが、まあメロスが有名だし分かりやすいし仕方ないのかもしれない。道化の華食堂とか晩年食堂だと食欲減退しそうだし…。

斜陽館

次はいよいよ斜陽館だ。

金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、こうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。所詮、私は、東京のあばらやで仮寝して、生家のなつかしい夢を見て慕い、あちこちうろつき、そうして死ぬのかも知れない。
太宰治『津軽』

間取りを見ると分かるが、とても広い。Sと「これだけ広いと掃除大変だよねえ」などと話し合う。庶民らしい哀しくも幸福な感想である。津島家が使用していた食器類や家具、瓦などが展示されている。各部屋で欄間のデザインがそれぞれ違う上に凝っていて可愛い。この辺りについては太宰治がどうこうというより、地主すご…としか思えなかった。有力者を招いた時用の部屋、その付き人を通すための部屋などもあって、地位によってこんなにはっきりと扱いが違うのは時代だなあという気もする。

斜陽館
2階の和室。欄間が可愛い
なんかデカい部屋
庭も広い
階段

展示室があって(ここは撮影禁止だった)、太宰が着ていた二重廻しや書簡、『走ラヌ名馬』の直筆原稿などが置いてある。太宰治が除籍された際の戸籍謄本?が飾られており(太宰は分家除籍を条件に、芸者をしていた小山初代との結婚を認められている)、太宰の本名である「修治」という文字の上の大きくバッテンがつけられていた。兄に宛てた書簡が展示されていたのだが「芥川賞を取るのは確定したも同然です」といった内容だったので、切ない気持ちになった。太宰と同様に、私もここでは少し気疲れした。

1階では、二重廻しを着て太宰の名言が書かれたプラカードを持って写真撮影できるコーナーがあった。太宰ファンにありがちの過剰な自意識を持つ私は普段なら一瞥して通り過ぎるところだが、友人との旅行中で少しばかり朗らかになっていたので、記念撮影をした。"遊ばなければ損だとばかりに眼つきをかえて酒をくらっている"と書かれたプラカードを持つと、Sは「もう酒は控えろ。文豪でもあるまいし破滅的な生活はやめろ」などと小言を並べてきた。旅行中にまでお説教とは。私は内心辟易としたが、Sが心配してくれているのが痛いほど分かったのでとりあえず神妙な面持ちをした。そうしていると本当にしょげてきてしまう。実際私は酒を飲みすぎる。生活を見直した方が良い。

お土産のノートとブックカバー

芦野公園

斜陽館を出るとそのまま数十分歩いて芦野公園に向かった。芦野公園は金木にある自然公園で児童動物園の他に太宰の文学碑などがある。桜の名所だが、行った季節と時間帯があれだったのでかなり寂しい空気が漂っていた。児童動物園には普段ヒグマがいるらしいのだが、その時は見当たらず乾いたフンしか見えなかった。こんな人気の少ないところで一匹だけでいるヒグマはどんなことを考えているのだろう。太宰よろしく「選ばれてあることの恍惚と不安二つ我にあり」と思っているかもしれない。ちょうど芦野公園に建てられた文学碑の文章がそれだった。

文学碑
逆光の太宰治像

芦野公園駅は『津軽』の中にも登場し、描かれている通りののどかな駅だ。すぐ横に赤い屋根の喫茶店「駅舎」があり、ここでは津軽鉄道乗車券を買うことが出来た。

ぼんやり窓外の津軽平野を眺め、やがて金木を過ぎ、芦野公園といふ踏切番の小屋くらいの小さい駅に着いて、金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言われ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥えたまま改札口に走って来て、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前の事のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待っていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違いない。
太宰治『津軽』
赤い屋根の喫茶店「駅舎」 
「駅舎」で買える切符
「駅舎」にある昔の行先看板
桜ソーダ

大鰐温泉、弘前

芦野公園駅から津軽鉄道とJRを乗り継いで大鰐温泉に向かう。大鰐温泉には太宰治も泊まった「ヤマニ仙遊館」という旅館がある。あいにく予約が取れなかったので外観だけでもチラッと見ようと思っていたのだが、近くに旅館の人がいて「宿泊の方ですか〜?」と声をかけられ大変気まずい思いをしたので、すぐにそそくさと離れた。大鰐温泉駅前には何故か歯ブラシを持ったデカい鰐の像があり、その印象しか残っていない。駅の待合室は広くてストーブが置いてあり、寒くて本数が少ない路線特有の感じだった。

大鰐温泉駅前

弘前駅に戻ってくると、晩御飯を食べた。

こんど津軽へ出掛けるに当って、心にきめた事が一つあった。それは、食い物に淡泊なれ、という事であった。(中略)私は津軽へ、食べものをあさりに来たのではない。姿こそ、むらさき色の乞食にも似ているが、私は真理と愛情の乞食だ、白米の乞食ではない!と東京の人全部の名誉のためにも、演説口調できざな大見得を切ってやりたいくらいの決意をひめて津軽へ来たのだ。
太宰治『津軽』

太宰はこのように書いているが、私とSは真理も愛情も白米も求める欲深き旅人であるので、その日は大いに飲んで食べた。特に予約もせず弘前駅前にある「津軽衆」「津軽の酒処わたみ」という居酒屋をハシゴする。郷土料理のせんべい汁は最初見た時、(え…なんか鹿せんべいみたい…)と少し戸惑ったのだが、割って汁に入れると良い具合にふやけて、鶏と野菜の旨味を吸って、優しくも濃い味わいで美味しい。斜陽館で酒を飲みすぎるのを反省したばかりなのも忘れてかなり飲んでしまった。料理に合うお酒がたくさんあったので仕方ない。富士には月見草がよく似合う。郷土料理には日本酒がよく似合う。飲んでも良い理由を探しているうちは、禁酒はかなわないだろう。翌日は二日酔い確定だ。

私の頭は朦朧としている。二日酔いの気味である。(中略)私ひとりが濁って汚れて腐敗しているようで、どうにも、かなわない気持である。このような自己嫌悪を、お酒を飲みすぎた後には必ず、おそらくは数千回、繰り返して経験しながら、未だに酒を断然廃す気持にはなれないのである。この酒飲みという弱点のゆえに、私はとかく人から軽んぜられる。世の中に、酒というものさえなかったら、私は或いは聖人にでもなれたのではなかろうか、
太宰治『津軽』
せんべい汁
貝焼味噌
青森の日本酒飲み比べ

太宰治まなびの家、万茶ン

最終日の朝、二日酔いの重い身体を引きずりながらホテルの朝食ビュッフェを堪能する。こういった場所では地元の料理が出る上に、大抵は前日に郷土料理を試しているので、気に入った名産品を重点的に食べられてとても得をした気分になる。

弘前駅から徒歩20分くらいの場所に、太宰が弘前高校に通うために下宿していた旧藤田邸「太宰治まなびの家」がある。まなびの家の扉を開けると、太宰の看板に出迎えられて笑ってしまった。いつも思うが、憧れの人(芥川龍之介)を真似たポーズで撮った写真が公開されているのは少し可哀想だ。私が万が一有名になって、ジョジョ5部のリゾット・ネエロの登場ポーズで撮った写真が皆に見られたら…と想像すると恥ずかしくて赤面してしまう。一緒にするなという話だろうけど。

「まなびの家」の管理人もとても親切で、鴨居に太宰が遺した落書きの話など、色々と丁寧に解説してくれた。ここでは太宰が当時使用していた部屋や文机などがそのまま残っている(ちなみに太宰は20歳の頃、この部屋でカルモチンを飲んで自殺を図っている)。そこの窓から外を眺めていると、この旅行中で一番、太宰が身近にいるように感じられた。ここでしか買えない太宰の作品集の初版デザインのクリアファイルなども売っている。

お出迎えしてくれる太宰
鴨居の落書き。自由落下の方程式らしい
弘前高校時代に使用した机
お土産のクリアファイル

まなびの家を出た後は、歩いて旧制弘前高等学校外国人教師館(現在はカフェになっている可愛らしい洋館)を見物し、そのままタクシーで太宰治も通ったと言われている喫茶店「万茶ン」に向かった。レトロな店内で太宰ブレンドを飲む。私にはコーヒーの味がわからぬ。なので他のコーヒーとの比較はできないが、太宰ブレンドは軽めで、酸味は感じられず苦味があり飲みやすかった。万茶ンは落ち着いた雰囲気でずっと居座りたいくらいだったが、帰りの時間が迫っていたので渋々店を出た。


太宰ブレンドとコーヒーバニラ太宰(アイス)

最後に

その後は弘前市立郷土文学館 を訪れ(太宰の資料はそこまでなかった)、方言詩コーナーで一戸謙三や高木恭造の作品の朗読と映像を鑑賞した。旅の終わりがすぐそこでセンチメンタルな気分になっていたのか津軽弁の特徴なのかは分からないが、方言詩は物哀しく郷愁的にじっとりと胸に沁み込んだ。

そこからはバスで弘前駅に戻ってから青森駅まで行き、いよいよ帰りの新幹線だ。お土産に弘前駅で津軽クッキーとリンゴ酒、青森駅のキヨスクで人言失格カステラサンドを購入した。人間失格カステラ、お土産として渡すのにはかなり抵抗がある名前だ。

今回の旅の目的は斜陽館で太宰の資料を見ることだったが、実際に印象に残っているのは人々の顔である。駅の待合室でストーブに寄り添う男性の赤らんだ頬、電車内での手作りのお守りをつけた学生の寝顔、畑の中で作業をする日に焼けた男性の真剣な表情、日本酒を煽るSの満足そうな笑み、そして何より、太宰ゆかりの施設の管理人たちの顔だ。彼らは本当に嬉しそうに太宰について語ってくれた。「太宰のことを本当に愛しているのは私だけだ」と過激な思慕を募らせていた、幼い女生徒だった頃の私に今回の話をしたらどんな顔をするだろう?きっと同志がいることへの隠しきれない喜びを滲ませて、管理人たちと同じ嬉しそうな顔をするのだろう。

まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽したようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
太宰治『津軽』

おまけ(旅の栞)

前編 に画像で載せた旅の栞を再掲する。最初の出発地点が函館/帰りが新幹線で東京になっているが、2泊3日(朝から新幹線で行けば1泊2日)で青森の太宰ゆかりの地を大体網羅している旅程なので、今後行く方がいれば参考にしていただければと思う。

11月24日(木) 函館〜弘前
★ 函館市内
14:10 函館港
| 津軽海峡フェリー ブルードルフィン
17:50 青森港
※ 「津軽フリーパス」買う
18:23 青森
| 奥羽本線(弘前行き)
19:07 弘前
■ 弘前駅前 宿泊

11月25日(金) 斜陽館・仙遊館
10:23 弘前
| 五能線(深浦行き)
11:05 五所川原
★ 「思ひ出」の蔵
11:50 津軽五所川原
| 津軽鉄道準急(津軽中里行き)
12:16 金木
旧津島家新座敷
★ 斜陽館
芦野公園 , 赤い屋根の喫茶店「駅舎」
16:06 芦野公園
| 津軽鉄道準急(津軽五所川原行き)
16:38 津軽五所川原
16:46 五所川原
| 五能線(弘前行き)※ 川部7分停車
17:37 弘前
17:39 弘前
| 奥羽本線(秋田行き)
17:50 大鰐温泉
★ 旅館:ヤマニ仙遊館
19:40 大鰐温泉
| 奥羽本線(弘前行き)
19:52 弘前
■ 弘前駅前 宿泊

11月26日(土) 弘前〜帰宅
★ 太宰治まなびの家
★ 土手の珈琲屋 万茶ン
弘前市立郷土文学館
14:47 弘前
| つがる3号(青森行き)
15:14 新青森
15:52 新青森
| 新幹線 はやぶさ34号(東京行き)
19:04 東京

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