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Can Will Must

できること、やりたいこと、するべきこと。これらが重なり合うところを目指そうという考え方だ。自己啓発の話をする上であげられることがある。今置かれた環境の中で、なんとか折り合いをつけていこう。中庸を取ろう。バランスを取っていい形にしていこうということだ。私はCan Will Mustをしなくていいと考えている。

なんとかバランスを取ろうと帳尻合わせに限界が来る。疲れる。なんだか大変になる。やる気がなくなる。無気力になる。一方で、世の中にはCan Will Mustをうまいことまわして、それなりの人生を歩んでいる人がいる。しかし、一方で弱っていく人がいる。この違いはなんだろうか。

産まれてこれまで生きてくる中で、避けがたい困難を経験した人がいる。周囲に囚われがある人に囲まれた人だ。自分の甘えが満たされなかった環境に置かれた人だ。不安を感じ続けた人だ。例えるならば、虐待される環境にいたペットだ。衝動的に購入され、お腹が空いたと鳴けば、うるさいと拒絶される。ゆっくりと寝ていたのに、触りたいからと起こされる。長い時間ひとりにされたり、過剰に関わってくるの繰り返しの中にいる。対して、どんな子でも一緒になれば家族よ、と歓迎されて暮らすペットがいる。ありのままに暮らしていいよと愛のある環境にいる。はしゃいで鳴いても、喜んでいるね、と周囲は笑顔だ。いたずらしても、この子はもう、と笑って撫でる。ゆっくりお昼寝できる。朝は決まった時間に起きて、夜は決まった時間に寝る。不規則な生活ではない。

避けがたい困難な環境にいた人は虐待されたペットだ。その環境は選べなかった。いたし方なかった。苦しみ、もがいてその環境をなんとか乗り切った。いい子にしたり、できることを増やした。自分ではない自分になろうとした。ありのままでいいとされなかった。常に周囲の環境を伺わないといけなかった。常に危険に身を晒されていたから疲れた。やる気がなくなった。これ以上何をやっても同じと思うようになった。

そんな人がCan Will Mustをやろうとしても、より大変になるだけである。ありのままでいいよとされた人とは全く捉え方が違う。どちらが良い、悪いと言っているわけではない。ただ、置かれた環境が違ったのだ。それに良い悪いもない。しかし、ありのままではいけない環境でいた場合、本人は大変疲れている。あれこれ器用にこなすなんて難しい。

私は避けがたい困難な環境に置かれていた一人だ。そんな中でもなんとか耐え凌んだ。大学で首席になり、試行錯誤して様々なスキルを身につけ、2回転職して、休職したり所属がなかったことだってある。誰もが知るような大企業に勤めて、まだ世の中にないものを研究して開発してレポートにまとめる。側から見れば大変恵まれた環境にいる。Can Will Mustをしようともがいてきた。より良くしようと、本当に一生懸命にやってきた。しかし、休職した。体調を崩した。無理をした。人にこたえた。自分の心に蓋をしてきた。

避けがたい困難を経験しても、より満たされるようになることはできる。それはCan Will Mustをするようになることではない。何か目標を立てて頑張ることではない。するべきことをあれこれやることでもない。大丈夫だ。もう十分頑張ったのだ。これ以上何かしようとしなくていい。それはより自分を避けがたい困難に身を置くことに繋がる。どんなにうまくやってるとあれこれやっても、どこか大変になる。事件が起こる。疲れる。もう嫌だ。となる。この繰り返しである。抜け出せることはない。

避けがたい困難を経験した人は、ゆっくり休むことである。頭と身体を空っぽにして休むことである。どのくらい休めばいいかはこちらの記事に書いている。

ゆっくり休むと、エゴのない意欲が出てくる。こうしよう、ああしようと考えない、打算的ではない意欲だ。その意欲がどういったものかはこちらで紹介している。

エゴのない意欲を続けることは、その取り組むことを楽しむことである。下手でもいい。絵を描いてみたいと思った時に、あの漫画のようにしたいな、こういうかわいいのがいいなと想いえがかなくていい。思うがままに書くといい。それは子供のように描くのだ。あぁ、こんな風に素敵にならなかった。なんだか苦痛だ。飽きた、となるなら、他のものをやってみるといい。自然とできるものが見つかる。

自然とできる、無理なく続けられるものを見つけると、いつの間にかユニークなものをつくっている。それはモノをつくる創作などではなく、誰かをサポートすることかもしれない。それも無理せずできることの一つだ。そうして続けているうちに、この人がやったんだな、と周囲がわかるような特徴がついてくる。自分のまわりには同じような人が集まっている。これまでは、何かと意地悪をいってきたり、こうしなければならないと言ってきたり、無視したり、冷酷に扱う人がいたのに、そんな人が少ない。いるが、自分もそうなったことがあるので、その状態が理解できる。そういった人に対して無頓着となる。

Can Willをしていると、いつの間にか食べていけるようになる。人も集まる。Mustもできるようになっている。結果的にCan Will Mustができている。最初からこれらをうまくやろうとしなくていい。それは自然とできる日が来る。より満たされるようになる。

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