普通であることにコンプレックスを抱く人

自分は凡人だなと思う人がいる。このままでは良くないのではないかと思う人がいる。罪悪感を抱く。別にその状態は側から見れば素敵な状態、言い換えるならば、それは真っ白なキャンバスのような状態であるのに、わざわざ自分からキャンバスに絵を描きにくいように汚しにいく。

キャンバスを汚すとはどのような状態かと言えば、何かを無理にできる状態にすることだ。こうなれたらいいなとなんとなくイメージして、それに近づけるように今できることをする。一生懸命に頑張る。それは達成感もあるし、やればやるだけできるようになる傾向は強い。本人もそんな自分をいいかんじだと思っている。

無理に何かをできるようにしなくていい。周囲と比べて自分はこれができない、あの能力が足りないとあれこれ想い悩まなくていい。むしろ、それら長い目で見れば足かせとなる。気負わなくていい。

具体例を挙げるならば、ダウン症の人のようにあればいいのだ。
ダウン症はWikipediaによると次のように説明がある。

ダウン症候群(ダウンしょうこうぐん、英: Down syndrome)またはダウン症は、体細胞の21番染色体が通常より1本多く存在し、計3本(トリソミー症)になることで発症する先天性疾患群である。
症状としては、身体的発達の遅延、特徴的な顔つき、軽度の知的障害が特徴である。平均して8 - 9歳の精神年齢に対応する軽度から中度の知的障害であるが、それぞれのばらつきは大きく、現時点で治療法は存在しない。

ダウン症はできることが限られている。周囲の人もその状況を理解しており、何か強要するようなことはしない。置かれた環境で気の赴くままにできることをする。

普通であることにコンプレックスを抱く人もこのあり方でいいのだ。人は人によってできることは違うし、置かれた環境も違う。無理に何者かになる必要はない。

ダウン症の人は時としてピアノや絵を描くことで世界を跨いで活躍している人がいる。モデルもして活躍している人もいる。このような人と自分は変わらない。ただ、自分が好きだと思える事を下手でもいいからやればいいのである。子供になぜ走っているの?と聞いてもこたえようのない、気づいたら走ってたのと同じように、ただやってみればいい。

自分は平凡だと感じる人はおそらく何かと比較している。それは過去の自分かもしれないし、周囲の人であるかもしれない。どの状態でも自分であり、大変ユニークであるのだが、なかなかそうは思わない。

わざわざキャンバスを汚す必要はない。反復練習してできるようとしなくていい。むしろ、それはできるようになったとしても道具であり手段である。それは使えないとずっとしまい込んだままになる。

まずは自分にこたえることだ。嫌だな、負担だなと思うことはやらないことだ。それで自分はアウトローして何もなくなる、所属がなくなる、お金がなくなる、色々な問題が発生するなと不安になると思う。不安なことは無理にしなくていい。しかし、無理のない程度で自分の気持ちにこたえていると、いつの間にかユニークな自分になっている。平凡ではない自分になっている。特異な能力を持った自分になっている。より満たされる。その姿は今の自分の延長にある。

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