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【ネタバレあり】映画『恋は光』をまた観たのでただ感想を吐き出す

上映終了が近づく寂しさに耐えきれずまた観に行ってしまった。初見の際映画そのものと関係ない理由で、序盤集中を欠いたのでまた改めて観たかったし、自分が観た記憶にファンの作り出した幻覚が混じってないか確認もしたかった。

いやあ、とにかく目に優しい綺麗な画ばかり。
急な音で驚かす様な演出もなく、ただ落ち着いて時折胸を締め付けられる思いに集中する、そういう映画です。

原作のあらすじや原作への想いは前の記事で書いたので、
以降映画・原作のネタバレありで観て思ったことをただ書き連ねる。
映画にも原作にも触れていない方がやるべきことはこのページを閉じて映画を観るか原作を読むかだ。














以下雑感(登場順にはおそらく揃っていないし、思い違いもあるだろう)
・開幕宿木だー! 何も言わずとも宿木とわかるシーン。原作に比べると宿木はかなり出番抑えめの環境だった。2周目で笑った女子が北代だと気づく。俳優の皆さんが動くのを見るの初めてだったんだ……。
・西条が赤入れマシーンになっとる。原作だと自分で小説を書いているが、本筋に大きく絡まなかった設定だし、北代のセンセ呼びの理由が渋滞するからこれはこれで。東雲と交換日記を始める前からノートでのやりとりを追加したことで、原作にないラストのノートでの返事につながってくる。眉毛。
・北代「惚れたな? 一目惚れだな?」のシーンに大洲央の絵『初恋』が映っている。北代ぐわーポイント。
・日が変わると服も髪型も変わる! 原作の魅力の一つ。ここで制作陣への信頼度UP。
・西条「え?」天然。
・東雲を紹介する話になったときの北代、西野七瀬……。
・後で知ったが映画北代は○いた翌日メガネ(twitterスペース情報のまた聞きにつき伏字)。原作7巻の出来事を法則化した設定か。原作では同じシーンでも回をまたぐとメガネになってたりするので、作者の癖と捉えて気にしすぎない方がいいかも。
・西条「夜釣りに誘うか」への北代の反応が原作と反対。原作では西条と北代が一緒に釣りに行く描写はなかったので、映画北代にとって釣りは譲れなかった領域なのかもしれない。釣具店でバイトしてるし。
・北代の「どしたどした?」癖になる。
・白シャツ紺ローグスカート平祐奈、原作東雲すぎて腰抜けた。風で膨らむスカートは監督の言うジブリ感ある。ここの一連の流れ、風景とかではなく画が本当に綺麗。あのドン引き行為を好意的に解釈する東雲天使か?
・恋の定義について面白会話。パンフレットを読むと主役4人みんな宿木派。
・宿木「相談事持ち込むか馬鹿な振りするかの二択」結局どっちもやる。ウケる。
・恋の光が見える西条以外、観客含めた全員が北代の恋を知ってる構図。原作の追体験。
・宿木の略奪愛を肯定する面白会話。酒に飲まれすぎや西条。目を閉じて好きな人を思い浮かべる遊びでラストシーンにパス。キスして何か吐きそうになってるのクソ失礼で笑う。
・絵が恋の光を放つってどういう現象。発光する姿をそのまま描いたからイメージが伝わったのか、天才が描くと光も憑依するのか。
・ショック東雲。面白会話からの「よっ東雲屋!」主人公がああいう周り巻き込んで主人公だよって動きするのはアニメとかでも苦手だったりする。
・冒頭の偉人の名言回収。西条が恋を自覚したときの北代、西野七瀬の今にも涙が出そうな眼! 翌日ドカ食いメガネ。
・財布、こんなにも薄くなって……。もしかしたら期限切れの割引券とか捨ててくれたのかもしれん。
・小笠原先輩思ったより周囲歩いてた。
・大洲央は光が見えるただの美術選択の高校生だったのが強化されとる。西条が央に連絡とる件が短縮されたし、宿木きっかけで会うのは原作通り。納得できる改変。JKの圧。これが伊東蒼かすげえの気持ち。眉毛。
・光ってる人を当てようゲーム。確かにこの確認が原作になかったのが不思議なくらいに思えてくる。「このテーブルを除いて」映像作品で叙述トリック!
・北代が光るシーンは原作屈指の北代ぐわーポイント。もう表紙だけで泣ける。無音。見入る。「お前は光っているのか」「わからん」笑う。泣ける。
・宿木パジャマパーティーデビュー。央の連絡先聞きだしたりなんやかんやいいやつ感。映画でも馴染んでいるようだ。
・東雲吐いた! 原作準拠。吐瀉すら目に優しい画。「スイマセン出ませんでした」笑う。「私は今光っていますか」ぐわー。
・北代の光が見えない理由。原作では学習の恋は北代に満たされていたから。映画では母性本能という名の学習の恋を与えられなかったので学習の恋に対するセンサーが鈍くなっていた。西条の家庭についての説明の簡略化による差異も使い新解釈。見事。
・美術館。東雲に先に返事したことで、何これ知らん、とざわざわする。
・言えたじゃねえか、北代、手つなげたじゃねえか。原作「いやまぁしようと思えば出来るし…多分」
・「光っておらんぞ」「やっぱそうか。つまらんな」言いそう。まさか「私は今光っていますか」を北代でもやるとは。
・ノートの返事、この世界の西条はやるよなという納得感。東雲の美しさ。涙を1滴落として1滴流す。平祐奈は操作系の能力者か?
・終幕宿木だー!
以上雑感

もっと俯瞰した感想・考察が知りたいという方には既読かもしれないが次の記事を紹介する。

こういう落ち着いてしっかりした良記事があったことで私の前の記事がネタバレ控えめパッション全振りになったところはある。

最後に今回の漫画の映画化について。
未完結の漫画の映像化ならば連載を追う読者層を広げるために原作に忠実であることが重視されるように思う。
今回の『恋は光』は完結作品。秋★枝の絵は漫画的なかわいらしさにあふれており、読書体験の忠実な再現を求めるなら実写化よりアニメ化が適当に思う(話数もそれなりに必要だろう)。
よって実写化するからには何か新しい魅力を付加してほしいという贅沢なことを常日頃思いながらも、いざ好きな作品が実写化するとなると酷い出来だったらどうしようと不安になっていたのが観賞前の私だった。そして不安は杞憂にすぎず、贅沢な要求は満たされた。
監督・脚本小林啓一は作品の魅力的だった点はしっかり押さえ、設定の改変は原作の延長・短縮に留め、結果一部のファンが夢見た可能性を実現させる離れ業を成し遂げた。(ちなみに私は決して原作に納得いかなかったわけではない。納得できてしまうから苦さがあるし、だからこそ甘い夢を見た)
観賞後は原作含めた秋★枝作品を読み返したし、そういう機会が外部から与えられたことがうれしくて仕方ない。
『恋は光』の世界に再び向き合うきっかけをくれた映画に感謝を。


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