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むかし話 続きの続き

カナダから帰国したわたしは、ほどなくして大手英会話学校で講師となります。4月からその会社に入社が決まっていました。

その当時は9月入社制度はなく、わたしは就業経験がないのに新卒ではなく、けれど新卒だから就業経験もなく、何にも分類されない宙ぶらりんの身分でした。留学の事情を踏まえて採用してくれた会社は、あとからわかったことですが、小学生のときに通ったあの英会話スクールを運営していた会社で、いまや全国展開するまでに成長していたのでした。

講師デビュー前の研修は、アパートに缶詰で、徹夜で教材を作りプレゼン(模擬授業)を繰り返す日々でした。新入社員研修でも同じ研修を受けたので、わたしの模擬授業の回数は、同期の倍だったと思います。

赴任した学校では、数人のアメリカ人講師たちと毎週末あちこち出かけたり、旅をしたり、スポーツしたり、語り合ったり。生徒さんたちも個性的でおもしろくて、いつも大笑いしながら仕事をする日々でした。彼らともまだkeep in touchしています。

数年経ったころ、毎日はすこぶる楽しかったけれど、オフィスワークってどんなものなんだろう?経験してみたいと思い始めた頃に、アメリカ資本の会社に転職していた先輩から声がかかりました。通訳や翻訳の仕事もある輸出の部署に来ないか、と。

面接では、いろんな部署の方々がずらずらーっと並ぶ前で(おそらく9:1らい)、英語で自己紹介をしたんじゃなかったかな。

仕事は多岐に渡りました。受注から在庫確認、生産進捗の問い合わせ、輸出業務などを、香港支社のスタッフと英語でやり取りする毎日でした。ミーティングでは通訳、翻訳。海外出張もありましたし、衛星テレビ電話での4カ国会議の通訳などは、深夜に及びました。(夜食のカップ麺が楽しみでした)海外からの来客も多く、ビジネス文化が興味深かったり、海外有名アウトドアメーカーの舞台裏が見えたり。往復120キロの高速道路を通勤する毎日は、高速で飛ぶように過ぎていきました。

東京で仕事をした方がわたしに似合ってると、香港人の同僚からアドバイスをもらってほどなく、その東京へ引っ越すこととなります。