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【43】記事をきっかけに振り返っていて、息子が話す思い出にマイナスの受け止め場面が多いことに気づいた

自閉症、とくに子育てに関連する記事を目にすると、自分が辛かったときの思いが甦るときもあります。だからこそ、記事を読んだりすると、そのお母さんたちに感銘を受ける。本当にすごい!!と思う。

今回拝見した記事では、自閉症スペクトラムという診断、加えて体の弱さもあり、この重なる辛さはお母さんの気持ちを思うと計り知れない。私には耐えられないとさえ思う。頑張っているお母さんもきっと辛くてどうしようもない時期があっただろう。

他の自閉症の養育者の方々の体験を見たり聞いたりすると、私が母親だったらこの人たちのように頑張りつづけることは無理かもしれない…と、ふっと想像してしまうことも時にあります。

けれど、その度に気づかされることは、自閉症は十人十色、100人いれば100通りあると言われている。そして、その子たちのそばにいる養育者が一番の理解者であり、改善するためのカギを握っているのだということです。


私は、当時自分ひとりで悩んでいました。地域などで活動している団体のお母さん方との情報を共有するということはありませんでした。
どうして??と思いながら必死で向き合っていて、その一方で「あなただから頑張れるのよ」とも周囲から言われ続けていました。
私は何でもできるわけではない…。
当時は暗いトンネルにいる気持ちを抱えながらも、必死で歩いて出口を探しつづけていたように思い出します。

手をつなぐ母子の画像
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当時の私は、自閉症児が学校という社会とどういう関わりができるのか、どう向き合っていけばよいのかが正直わかりませんでした。ただただ息子の将来を考えると、どうしても普通であってほしい、特別学級に誘われないように願っていました。そして成長とともに重ねてきた時間のおかげで、タイミングよくすり抜けて過ごせてこられたように思えます。

文字を書いたサイコロの画像
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息子は、普通の子たちと接する日々の中で、コミュニケーションが難しいなと思う部分で私が通訳のような役目でその場にいるという感じでした。身近なお友達に関わってもらいながら、やがて自然と交流するようになっていったという経緯でした。

息子も今年で27歳になる。月日が経つのは早いもので。
記事のお子さんと比べるとおおよそ15歳くらいの差があるのかなー?時代もかなり変わってきている。
今でこそ心理を学んで、少し当時の感情をもっと深く理解できるようになったと思うものの、当時は全くといっていいほど息子の感情にフォーカスできていなかったと思います。


息子が20歳のときに、思い出話を聞いたことがありました。そのときは、薄っすら小学校時代のことを覚えてはいました。そして、23歳YouTubeでのゲーム配信を始めてから、いろいろな人とチャットを介して話すようになって、コミュニケーションは明らかにより上手くなっていました。そのときに同じように小学校時代のことを聞いてみると、「本当に自閉症だった?診断書みたいなものあるの?」と息子の返答にびっくりしました。
その時に、かなり当時の記憶が薄くなっているのだなと感じました。
そしてつい最近では、ほとんど記憶では普通の子と同じような雰囲気になっているようでした。

ただ、私が最近の会話で引っかかったことがありました。
それまでは気に留められてなかったのですが、改めて振り返るとマイナスの感情ばかりを記憶していることに気づきました。
「僕がゲームをしていてSAVEしたものを、お姉ちゃんが消して、いじわるされてたかな?」「それからお父さんがお姉ちゃんと一緒になって僕を笑った」
…たぶん、私の記憶になる受け止め方の状況とは違う思い出なのだと感じました。
そこであった息子の思い出との違和感は、「父親は笑った」のではなく「長女と長男の遊びをほほえましく見守っていた」のでした。当然お姉ちゃんもそうだと思う。
でも息子がそう感じていたことも嘘ではない。息子が受け止められる内容が乏しいものだったのではないかと考えさせられました。

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私が考えてきた『たまご』で当てはめてみると、『白身』の部分でおかしな行動をすることを、父親もお姉ちゃんも理解していた上で微笑んでいるものの、『黄身』の部分の息子本体はダイレクトに笑われた、馬鹿にされたという非言語として受け取っていたみたい。
なんとも複雑だと感じました。当時のことを聞くと、息子からはマイナスの表現で出てくる思い出。なぜなのか?これはまた改めて考えてみようと思います。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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