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野原のちいさな物語り

 広大な野原に、十字の形をした墓標が、何千、何百と立ち並んでおりました。墓標といってもそれは立派なものではなく、もともと海辺に流れついた流木であったり、壊れた船の柱であったりしました。しかし年月が経つにつれ、雨風に傷んで弱く、もろくなってゆきました。


 春のことです。
 ひとつの白い木でできた墓標の前に、舞い降りてきたものがありました。それは、花が咲き乱れる野原を夢見ていた綿毛です。白い半透明の綿毛は、そよ風に運ばれ種をぷらりとぶら下げて、静かにやってきました。
「こんにちは。よいお天気ですね」
 かすかな風に吹かれ、綿毛が草の間に種を下ろして言いますと、目の前の墓標はうなずいたように見えました。
 綿毛はこの十字の姿が墓標を意味していることを知りませんでした。


 夜がやってくると、空高くまんまるの月が昇ります。「おやすみなさい」と綿毛が言うと、彼はそっとうなずいてみせました。
 次の日、綿毛は少しだけ土に埋もれていました。
「あなたはここで何をしているの?」
 今日も陽を浴びて立っている彼に、元気よく綿毛はたずねます。
 ところが、彼は白い両手を広げて無言で立ち尽くしているだけです。返事はありません。
 綿毛は周囲を見回して、他にもたくさんいる墓標たちを見つめました。みんなみんな同じかっこうで、誰もちびな綿毛のことなんて、これっぽっちも気にしていないようです。首をかしげて、もう一度目の前の墓標に声をかけました。
「静かだわ。すごく静か。まるで私がひとりごとを言っているみたい……」
 彼はやはり何も言いませんでしたが、少しだけ微笑んでいるように思えました。
 風が柔らかく吹き、草が音を奏で、土は香りを放ちます。
「世界にはきっと、私しかいないんだわ」
 綿毛はふと、そう思ったのでした。


 夜がやってきました。昨晩よりもこごえる夜です。昼間のあたたかさがうそのように、冷たい風が吹きすさびます。綿毛はふるえながら、必死で地面に伏せていました。
 途切れることなく吹いてくる強い風に、小さな体は今にも飛ばされてしまいそうです。
 そのときです。風の音にまぎれて穏やかな声が聞こえてきました。
「ボクのかげに、おいで」
 綿毛がはっと顔を上げると、そこには、厚い雲を背にした墓標が、おおしく立っていました。強い風に吹きつけられながらも、その顔に力強い笑みをたたえています。
 綿毛は埋まった体を起こし、草をたぐってそっと彼に寄り添いました。もうぼろぼろになってしまった木の体はミシミシと音を鳴らします。それでも墓標のそばは優しくあたたかく、綿毛を安心させてくれるのでした。


 風は一晩中、野原をいたずらにかけまわりました。小さな綿毛にとって、鳥に食べられるかとヒヤヒヤするよりも恐ろしいことでした。
 朝がやってきました。風はだんだんとやみ、野原に光が降り注ぎ始めました。
 綿毛は壁となってくれた墓標のかげで、ちゃんと生きていました。
「ありがとう。あなたがいなければ、私はきっと助からなかった……あっ!」
 墓標を見上げた綿毛は思わず、声を上げました。

 なんと、墓標は横に真っ二つに、折れてしまっていたのです。

 もろくなっていたためか、夜中の強い風と戦って、力尽きてしまったようでした。それでも、綿毛を守ろうと、根元の部分はしっかりと地に埋まっていました。
「そんな、起きてください。十字の木さん」
 必死に声をかけますが、割れてしまった墓標はうなずきもせず、微笑みも見せてくれません。綿毛は悲しみにくれ、彼のそばを離れようとはしませんでした。

 月日は穏やかに流れ、再び春が巡ってきました。
 あのとき折れてしまった墓標は、根元を残してみんな朽ちてしまっていました。
 けれどそのかたわらには、寄り添うように咲く、一輪の黄色い花の姿がありました。花は、風に吹かれて小さく、小さく、空に手を振るように揺れておりました。


ーThe ENDー

image by:hhach

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