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風の劇場


ぼくが窓を開けました。すると、そこは野原ではなく、小さな暗い部屋があるのみでした。

「どこへいってしまったんだろう、あの花の咲く野原は」

ぼくはひとりごとを言いました。そこにあったはずのみどりいろのやわらかい草でおいしげったやさしい野原が、窓の外にあるのが、いつもの景色だったのですから。

そのとき、窓の向こうにあらわれた暗い部屋に、ぽっと灯りがともりました。よく見てみると、ちいさい舞台にビロードの幕。手前にはさらにちいさい客席があります。幕の前で、さらにさらにちいさい男の人が、中央で、おおげさにきょろ、きょろとしているのです。「なにを探してるの?」ぼくは声をかけました。「しいーっ、もう始まってるのよ、静かにして」客席を覗きこんでみると、もっともっと小さな、真っ白いワンピースの女の子が、ベルベットの席からこちらを見上げていました。女の子はきれいなすみれいろの目をしています。はじめてみるのに、ずっと会いたかったような、ふしぎなきもちがしました。

「ごめんなさい」

ぼくがあやまると、女の子はうなずいて、そうっと「あなたもこっちへきたら」と言いました。
「ありがとう」と返事をしようと思ったときにはすでに、ぼくは女の子と同じ大きさになって、隣の席に座っていたのです。

舞台の上には、水色と深い青と白のまぜこぜになったきれいな色の、衣装を着た男がいました。男は右へ行ったり、くるっと回転したり、かと思えば左へ走ったりしています。
そして、真っ赤なビロードの影へ引っ込んだかと思うと、幕はゆっくりと左右に開けていきました。
奥は深海のような、しんとした輝きに満ちていました。暗い、青い、波のような布がはられ、風になびくようにゆらめいています。
青い男が言いました。
「わたしは、今日めざめるのです。そう、いまにも、めざめるのです」

「しかし、今ではありません。ああ、まちどおしい、まちどおしい。わたし一人では、成し遂げることはできません」

男は続けました。
「彼らがいないのです」

今度は踊りをやめました。ゆっくりとなめらかな動きで真ん中でひざ立ちをすると、上から差し込むかすかなあかりに手を差し伸べました。
「この世は、美しいものでみたされています。ひかりが、われわれにとって、一番の幸福です。ひかりはわれわれに色を与えてくれるのです。風が金色にかがやくなら、この身をたいようのように黄金色に。雨だれがすきとおった青い色なら、このからだをそのように。わたしは何色にでもなりましょう!」

すると上から返事がありました。といっても、声ではありません。花という花が、ゆっくりと舞い降りてきたのです。まるで世界中の花を集めたように、たくさんたくさん降ってきます。
男がそっと舞台そでへ隠れると、そこからちいさなこどもたちが、にぎやかに入ってきました。こどもたちは黄色や赤や白のスモックを着て、めいめい好きな花をひろいはじめました。舞台のいちめんにふりしきる花は、ふわりふわりと舞いながら、こどもたちの器のようにしたスモックの中へと導かれていきます。こわれてしまわないようにそっと……。
そのうちに、どこか遠くから、たいこのような響きがしずかに劇場にしみわたってきました。

たーん…… たーん…… たーん……
最初はどこからか聞こえてくるようだったのに、だんだんと近くなってくるのです。男は顔を上げて立ち上がりました。こどもたちも花を抱えたまま、青い男のまわりにくるくると回転しながら集まってきます。
たん どどん たたん どん

たいこの音は大きく、はげしく、びりびりと彼らに迫ってきています。やがて、

ばりっ!

地面が割れるようなたいこの音と同時に、ひとりのこどもが叫びました。
「風よ、風だわ!」

銀の紗のドレスをまとった女が、とつぜん、幾人も飛び出してきたのです。

その踊りはひとりひとり違いましたが、誰もがたいこの音に合わせて小さくジャンプをしています。
「おゆきなさい……おゆきなさい・・・・・・旅に出なさい、こどもたち…・・・。ただし気をつけて。しぜんの中では、優しい者も、ときには恐ろしいものになるのです」

ととん どん だだん とん だだん……

風は舞台の上を吹き荒れるように踊りまわると、やがて、こどもたちはひとり、またひとりと、どこかへ去っていってしまいました。残っているのはとうとう青の男だけです。

たたん たたん ととん たたん

たいこの音がゆっくりとやさしくなっていきました。男はうつむけていた顔をぐんと上に伸ばすと、目が覚めたというように体を大きく広げます。そのすきに、風もまたひとり、ひとり、舞台から姿を消していきます。

ぼくはふととなりを見てみました。白いワンピースの女の子は、スカートのすそをぎゅっと握っていました。そして、ぼくに涙でいっぱいのすみれ色の目を向けてきたのです。


「わたしたちも、行かなくちゃ!」
女の子はぼくの手をとって、さっと立ち上がりました。ぼくは、女の子からは信じられないくらいの力強さでひっぱられたけれど、自分にも力がわいてくるような気がしました。

ぼくたちは座席の通路を抜けて、風に乗ったみたいに軽々と舞台へと走りました。ステージの下へかけよると、女の子は「ねえ! わたしたちもいれて!」と叫びます。

目覚めた男はかろやかに一回転してぼくたちのすがたを見つけると、にっこりとほほえんでくれました。そして、あたたかい声で、こうも言ったのです。
「ああ、やっと見つかった」
と。

白いレース編みのカーテンが、朝日をすかして、ぼくに朝を告げました。ぼくはベッドによこたわったまま、まぶたの裏でちらちらとゆれる、深い濃い海の底の色をぼんやりとながめました。
外から、ことりがちゅりちゅりと鳴いているのがきこえてきました。


ぼくは目を開けて、はっと体を起こしました。声が、ぼくを呼んでいるような気がしたのです。
窓の鍵をはずして扉を開けました。

そこには若い草がぎゅっとあつまっている野原が、そよそよと風になびいています。ところどころに咲く色もさまざまな花も、ダンスをするようにゆれていました。遠くに、一本のしらかばの木が、銀に輝いて立っているのが見えます。風が幾重にもかさなって、この町を走りすぎていきました。


窓辺に、一羽の真っ白な小鳥が止まりました。ぼくがその小鳥を見つめると、小鳥はうすいむらさきいろの透き通った目を一瞬またたかせました。けれど、次の瞬間にはもう風に乗って、飛び立っていたのです。

ぼくは誘われるように、窓辺に飛び出して、無我夢中に青空をめざしました。羽がざざざっと生えてきて、風をつかみます。

ぼくはそのときはじめて、じぶんは生まれた小鳥だと気がつきましたが、風に乗っているうちに、そんなことは忘れていってしまいました。


ーThe ENDー

image by:blickpixel

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