見出し画像

出久根達郎『漱石センセと私』

直木賞作家である出久根達郎さんの『漱石センセと私』。月刊『パンプキン』に連載された「いとしのより江ンジェル」が単行本化、そして文庫化されたものです。

タイトルから、漱石がメインで登場するのかな……と思ったのですが、読んでみると、若い頃の久保より江(俳人・歌人)の物語でした。全体の印象としては、連載時のタイトルの方が、内容に近いのかなと感じましたが、より江と交流していく人々が、漱石との出会いに端を発している、ということでのタイトルの改変だと理解しました。(もちろんキャッチーさもあるのでしょうが……。)

裏表紙には、以下の紹介文が載っています。

夏目漱石が松山時代を過ごした下宿先の孫娘「より江」は、幼い頃から漱石夫妻や正岡子規に可愛がられ、美しい才女へと成長。医学生だった久保猪之吉と出会う―。『吾輩は猫である』に登場する雪江のモデルとされ、泉鏡花、柳原白蓮とも親交のあった俳人・歌人の久保より江。明るくしなやかに生きる少女の物語を、高浜虚子、寺田寅彦ら錚々たる文化人との逸話を盛り込みながら、情緒豊かに描き出す。

あくまで小説であり、評伝ではありません。とはいえ、漱石や境子夫人、子規、寺田寅彦、長塚節などのビッグネームが登場してくるので、興味をひかれつつページをめくることになりました。

個人的に興味をひかれたのが、より江と鏡子夫人との交流でした。より江は愚陀仏庵で、下宿中の漱石に届いたお見合い写真を目にします。

奥様の名は、鏡子という。戸籍名は、中根キヨ。漱石の『坊っちゃん』に坊っちゃんを子どもの時からかわいがり信頼する、清という老女がでてくる(略)夫人の戸籍名を当てたに違いない、とより江は推量している。つまり、センセにとって夫人は、忠実無比のお手伝いさんというわけである。

漱石の鏡子夫人の評も「歯並びの悪い娘なんだが、笑う時に手で隠さない。実に大らかだ。そこが気に入ったよ」というもので、より江にとって鏡子夫人は、悪妻のイメージと異なるばかりか、坊っちゃんの全てを受け入れる清のような人物として登場します。

鏡子夫人は、結婚前後のより江の心境に影響を与える人物として描かれます。二人の文通は、鏡子夫人の流産や自殺未遂の話にもおよび、より江にとって、「人は誰もが秘密をもっていきているのだ」との思いを抱かせる存在です。そして、お互いに張り合うような場面や、結婚後のより江が、子どもができず「夫人の愛の形式をなぞって」いることを自覚するところなどに、小説としてのリアリティを感じました。

より江の物語に加えてエピローグでは、作者自身が顔を出して、鏡子夫人が語られます。

鏡子夫人は「悪妻」との説が、ながいこと伝えられてきた。これは多分に漱石を崇拝した弟子たちが、より一層神格化させるために、悪意を持って流したと思う。
弟子たちの大半が、漱石に金を借りている。(略)借りた者は夫人に頭上がらない。どころか、人によっては蔭で恩人の悪口を放つ。自分の恥を隠すためである。

「さっぱりとして気性のあねご肌の女で、小さなことを気にせず寛大で陽気、浪費家で面倒みがよかった」鏡子夫人。作者は、そんな夫人に可愛がられたより江を描きたかったのかもしれません。

余談ですが……鏡子夫人の『漱石の思い出』を読んでみると、漱石は松山の人たちに印象を残しておらず、より江でさえ当時の漱石を覚えていないようだったと回想をしているのを、小説との違いとして面白く読みました。

久保頼江さんが(現福岡大学教授久保猪之吉氏夫人、「ホトトギス」派の女流俳人、「嫁ぬすみ」の著あり)そのころ十二、三の少女時代で、その上野さんの家と御親類でよく遊びにいらしったそうですが、子規さんの記憶ははっきりしているくせに、夏目のほうははっきりしないといっておられます。おおかた心服していた一、二の生徒さんや、同僚のごく少数の方をのぞいては、どなたにもそんな印象しか与えなかったものでございましょう。


夏目鏡子述 松岡譲筆録『漱石の思い出』

(八塚秀美)