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『少年の日の思い出』

中学校の国語の教科書に載っていた、主人公 「ぼく」 とエーミールという同級生における、少年時代の蛾にまつわる物語である。
作者はヘルマン・ヘッセ。

「エーミール」 という名前を聞いて思い出す人も多いのではなかろうか。


このとき以来、きちんと再読していないので詳しくは覚えていなかったが、

  • エーミールは嫌なやつ (でも主人公もどうかと思う)

  • 蛾の挿絵が気持ち悪い

  • とにかく後味悪い

という印象だけが (普段は忘れているけれど) 強く残っていた。
このことから 「なぜこんな話が教科書に載っていたのか?」 とも思っていた。



教科書に載せる・載せない、というのはどういう基準で決定されるのかは分らないが、んまぁ何と後味の悪い……。
しかし当時読んでいながらエーミールがおっさんくらいに成熟しているなー (主人公と感情のコントロール レベルが違う) みたいな気はしていた。

今あらためてあらすじやまとめなどを外部サイトで確認していると、もう主人公に対して 「うわぁ😰」 という痛みしか感じられない作品である。
というかエーミールもめちゃめちゃかわいそう。


ヘルマン・ヘッセの作品はほかに『車輪の下』しか読んだことがないのだけれども、あれも結構鬱小説だったような気がする (というか主人公がうつ病っぽい)。リンゴ祭りの件は好きだが。


主人公が最後に蛾を潰した理由は、私は 「嫌な記憶から逃れたい」 だと思ったのだがどうだろうか。
だって存在から何から全否定されたんだもの、この蛾関連が原因で。
しかし (とても大事なコレクションなはずなので) 惜しかったから、1 つずつ潰すことになったのかなぁと。

これ、「持つ者と持たざる者」 の対比 (しかも少年時代だから本人の努力ではまだどうにもならないことの方が多い) が何か訴えるものがあるように思う。いや主人公もかわいそうと言えばかわいそうだろう。

ただ、多分主人公は特別貧乏なわけでもなく普通の一般家庭で、「(蛾を盗んだことを) 謝りなさい」 と言ってくれる良識のある母親を持っているのは恵まれているとも言える。

エーミールだけが特別だったのだ。出木杉くん & 花輪くんが 1 人になったみたいな感じ。

そんな人と比べてはダメだろう。そもそも人と比較すること自体がすでに有害なのに、そんなスーパーマンと比べてはイカン。


ヘッセは『車輪の下』で自分の神経症的体験を書いたと言うが、超天才少年なら、エーミール側の人間なんだろうか。
確か『車輪の下』の主人公ハンスは神学校で落ちこぼれになってしまった気がしたが、神学校にエーミールのモデルになるような 「Mr. パーフェクト」 のような人がいたのだろうか。

潰されてしまった蛾が、神童であったため周りの大人によって翻弄され潰されたハンスと重なるような気もする。
この蛾もその美しさゆえ命を弄ばれた挙句に潰されるのだ。


全然関係ないのかもしれないが。



まぁなんだか暗~い話であり、なぜこれが教科書に載っているのかの答えがいちばん知りたい。

いただきましたサポート費は、面白い素材の購入費に充てさせていただければと思います。 ご支援誠にありがとうございます (^^)