ぼくとダムの関係

2023年の10/28と10/29の2日間、愛知県豊根村の新豊根ダムにおいて、ジャズフェスティバルを開催するにあたり、ダムとぼくの関係について書こうと思います。

新豊根ダム

いくつかの偶然が重なり、その日ぼくはダムの建設現場にいました。場所は愛知県の設楽町、奥三河と呼ばれる地区で、それは設楽ダムと言います。

人が造り上げる建造物というのは凄いなと思いますが、その中でもダムは最大のモノ、その大きさを文字で表すことは困難ですが、感覚的に表現すると「あぁ、ピラミッドってこうやって造ったんだな」といった感覚です。

設楽ダムは、2034年の完成を目指し、本体の着工が今年開始されましたが、なんとこのダム、建設計画が持ち上がったのは50年も前、今後日本ではこの規模のダムが造られることはないであろう巨大な建造物です。

しかしながら50年、それは紆余曲折の歴史です……

設楽ダム建設事務所

ダムを造るというのは、地図を書き換える作業、それはそれは大変な仕事で、その土地に住む植物や生物に大きな負荷を与えます。数え切れないほどの木が切り倒され、川の流れは変化しそこに生きる動植物の生態系に変化を与えますが、影響を受けるのは動植物だけでなく、そこに住んでいる『人』もその例外ではないのです。

実際この設楽ダムの建設にあたり、いくつかの集落と多くの世帯が立ち退きを余儀なくされました。

基本ダムは、その土地に利益をもたらすものではなく、そのずっと下流域の安定した水や電力の供給、災害対策のために造られます。言葉を選んで書きますが、ダムのまちの人々は、その下流域の人たちの為に、住み慣れた生活や景色を捧げることに協力をしてくれた人たちなのです。

ぼくは設楽ダムの建設現場を見て思いました。そこまでして、こんなデカいモノ造る必要あるのだろうか?と……


ダムの建設現場の見学の後、ぼくは国交省の方にダム湖に沈んでしまうという小松という地区に連れて行ってもらいました。そこには、基礎だけが残った民家の跡地がありました。ぼくはその基礎を見て「あぁ、ここが玄関だったんだな、ここがお風呂場だったんだな、生活していた人がいたんだ」と想像していました

それはその場に宿るかすかな『記憶』です。

すると、その跡地の脇にある小高い丘から、ゆっくりゆっくりと降りてくるおじいちゃんの姿がありました。聞くとそのおじいちゃん、もともとこの家の家主で、立ち退きを終えたあとも、その丘の上の果樹園で柚子なんかを育てているそうです。

やがておじいちゃんは、ぼくらの傍らに停めてあったシニアカーに座りました、とても小さいうえに背も曲がっているのでおじいちゃんはまるで子どものようです。そんなおじいちゃんにぼくも腰をかがめ「おじいちゃんあそこで何を作っているんですか?」とか「収穫したらどうしてるんですか?」とかお話をする傍らで、国交省の方は「大丈夫ですか、ご苦労かけてますね」と丁寧に頭を下げます。おじいちゃんは「いやいや、土地はワシのもんじゃない、お国のものだから」と細くて優しくてちょっと寂しげな声で応え、シニアカーでゆっくりと坂を下り去っていきました。

ぼくはその背が忘れられません。


ところで、話は設楽ダムからDAMJAZZの開催地、新豊根ダムにもどります。DAMJAZZは新豊根ダム完成から50周年を記念して企画されましたが、50年前というと設楽ダムの開発計画が持ち上がった年でもあります。

豊根の人にその頃のお話を聞くことはまだ出来ていないのですが、おそらく設楽町で起こったことが豊根村でも同じように起こったんだろうなとぼくは思います。

ダムを造ること、開発を進めることが正しいことかそうでないかということはぼくにはまだ分かりません、ただ今ぼくらの目の前にある水、今日顔を洗った水、帰ってから浴びるであろうシャワーの水、その水はそうした『記憶』で出来ています。

私たちダムジャズ実行委員はその記憶が乾かぬよう、受け継がなければならないと思っています。

水源地からの想い
水源地への想い
ジャズに乗せて。

2023 DAM JAZZ in 新豊根ダム