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誇りをもってパクった韓国行き

これから韓国に行く。コーヒーを振る舞うために。
去年の自分なら考えもしなかったと思う。韓国に行くことに。

なんだかここ数年はずっと「誰かの期待にこたえないといけない」みたいに考えるのが自分の型になってしまっていたような気がする。それは「西川は次はどんなぼうけんをしてくれるんだろうか」とか「西川さんには次はこんな場所から子どもたちに繋がってもらいたい」みたいなことだったりする。

けどね、ここで忘れてはいけないのは誰かからこれらのことを「お願いします」と言われたわけではないっていうこと。つまり自分で「きっとこういうことを期待されている」というか「これがいまのじぶんがやるべきこと」みたいに自分で作っていったんだと思う。そしてその“自分の軸とは少し離れたところでやっていく”ことに気づかないうちに疲れていったんだと思う。

去年のフリーコーヒーの日本旅はよかった。
どうしてあれをやったかというと「自分の得意技」みたいなものを封印したからだと思う。
【西川=海外=なんかやってくれる(なにかトラブる)】
みたいな方定式からすっかり外れることができて、僕のことを見守ってくださっている方にも「うーん意味わからんことはじめたな」と思ってくださった方がいると思う。
それは正直ぼくも同じだった。現に旅をはじめた日に「なんでこんなことはじめてしまっただろうか・・・」と都心を埋め尽くす朝会社に行くサラリーマンの人たちとすれ違うときに途方に暮れる体験をしたからだ。

けれどこういう「なんでやってしまったんだろう」という見切り発車的な行動が、ぼくの人生を振り返ってみても、あとあとまで続いていく貴重な体験になっているし、誰かに伝えたいストーリーになっている。つまり予定調和というものは、それを実行する自分にとっても、その行動を見守ってくださる方々にとっても「それなりのもの」になってしまうというわけだ。

そういう意味で、去年のdailylife bicycle coffeeは予定調和ではなくトラブル発進で、ぼくは毎日ソワソワしながら旅をし、コーヒーを淹れ、けれどもだんだんとこころ模様が変わっていって、たくさんの出会いや気づきが生まれて、結果としてぼくが想像もしなかった感覚をこの手のひらに残して終わることができた。

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そうして次は子どもたちとの「海外自転車ぼうけん旅」を企画した。企画して動き出してから「なんでこんなことしてしまったんだろう」と思った。募集して、応募があって、キャンセルが出ると胃がキリキリした。自分が払わないといけないお金をあらためて考えると呆然とした。夏休みがはじまって、小学生旅をしながらそれでも準備が終わっていなくて調整ごとをしながら「なんでこんな日程で組んでしまったのだろう」と思った。そして、精神的にもカラダ的にもプレッシャーがのっかかったまま羽田空港に行ってそのまま海外へと飛び立った。そのあとのことは旅のSNSレポートで書いたとおり。

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なんとなく自分の旅をシフトしたがっているのは感じてる。もっと人と出会うような、その出会いに焦点を当てるようなもの。けれどそれと同時に「そんな地味なこと」という自分がいるのも認めないといけないところ。きっと数年前のぼくに比べて、まわりから見えているぼくは「地味」だ。「世界」とか「一周」とか「夢」とか「挑戦」とか使わない。もう少し地味な実験みたいなもの。けれどそのことに自分の心が向かってる、ワクワクしていることに素直でいたい。だから今度は海外でコーヒーを振る舞いたいなと思ってた。

ほんとは「台湾ぐらいがいいかなぁ」と思ってた。行ったことない国だし、なんとなくたくさんの笑顔の写真が思い浮かんだから。けれど、それはひとつのyoutube動画によって吹き飛んだ。そこでは自分の仲間が紛れもなくひとつの「表現」をしていた。理屈じゃない圧倒的な表現を。彼の名はくわばらこういち。←漢字がわからへんし、間違えたら困るからひらがなで書いてみた。くわばらくんごめんな。


フリーハグという言葉を聞いたことあるだろうか?僕のSNSで繋がってはる人やったら見かけたことがあると思います。もしかしたら動画も。彼はいろんな国に行って平和をかかげてフリーハグをしてその動画を発信してる。たしか7年前にアウトドア用品のmont-bellがやっているチャレンジ支援というスポンサープログラムの報告会をイベントですることになって、そこに彼も報告のために来ていた。やってることのインパクトに対して、本人はどこか寂しげで自信なさげで、あれまーと思った記憶がある。

それからも彼のSNSはなんとなくいつも追っかけてて、ときどきやってくれたな!と思ったそのあとにはまたバイトにいそしんでいたりして、なんだかなぁと勝手に思っていたんだけれど、この春にドカンとクラウドファンディングやって、そこからは彼なりの覚悟が読み取れて、いよいよ来たな!と思った矢先に、韓国での反日デモ会場でフリーハグという僕のとって衝撃だったyoutubeがあがってきた。完全にやられたと思ったし、やってくれたと思った。そこには政治的なものではなく、理屈のいらない現実というかたちで人と人が心通わせる姿があった。それを見て、僕も韓国に行こうと思った。完全にくわばらくんをパクったのだ。言わば誇りを持ってパクったと言えるパクリだ。これからはパクリのプロになれるかもしれない。

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そしていま韓国へむかってる。
歴史に関する本は読んでみた。あの芸人さんの中田さんがやってるYOUTUBEのなんちゃら大学も観てみた。自分の中でなにかがクリアになった感覚はない。むしろモヤモヤが深まったかもしれない。どうすんねん的な感覚だ。

けれども、韓国に行くことにしてその歴史的、政治的認識とはまったく別のところで動いた現実がある。それは韓国に行くことにしたと言ったら、韓国の人や在日のかたと出会ってお話できる機会が生まれたということだ。先日は京都のおばんざいの店で日本で働く韓国のお姉さんと知り合ってソウルで会いましょう!となったし、昨日は徳島の仲間の店で在日朝鮮人という男の子と出会って、彼なりの考えを少しだけれど聞くことができた。これはほんとに自分にとっては大きなことで、なにより自分の心のまんなかのほうに残っていくものだなということを感じながらお話をさせてもらった。

というわけで韓国のことは、そんなにわかっちゃいないし、なにが起こるかもわからないけれども。行くと決めて、行くと言ってすでにいろんなことがはじまっていて、行ったあとにはまたいろんなことがたくさん起こるんだろうと思う。そこから自分がなにを自分のなかに取り入れて日々を過ごすことができるか、帰ってから表現できるか。そこんところをしっかり心にもっていってこようと思う。

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