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「実はね、この人もう目が見えないの。」

さあて、どこにしようか。
札幌のシンボルといえば、でっかくそびえるテレビ塔からズラーッと札幌中心部を横断するように伸びる大通り公園。噴水があったり、芝生の広場や小さなお山があったり、夏にはビアガーデンとなるとっても素敵な場所だ。観光客だけでなく、地元の人にとっても憩いの場になっていて、自転車を押しながら歩くだけでもずいぶんおだやかな空気が流れていて居心地がよい。

いちばん盛り上がっている3丁目(札幌は碁盤の目に道路が伸びているので何丁目と言えばだいたいみんな位置が分かる。外国みたい。)の噴水のある公園には、売店もあるし、焼きとうもろこしの露天も並ぶ。とうもろこし屋台のご夫婦に元気に挨拶した。

「ぼく自転車でコーヒーを淹れながら日本各地をまわってるんです!ここ大通り公園でも僕みたいな人いますか?コーヒー売るわけではないんですけど。。。」

奥さんは間髪置かずにそこらへんでやったらいいよ!と言ってくださったのだけれど、お父さんは「いや俺たちがやっていいよ!とは言えないんだよなぁ。」とすこーし含みを持たせたひと言。そりゃそうだ。わかりましたー!もうちょっとまわってみて考えます!ありがとうございました!と露天をあとにして、もう少しテレビ塔側に自転車を押して歩いた。

ふと立ち止まったのはテレビ塔のとなり、2丁目のすこしのんびりしていて、ベンチの多い区画。遊具や噴水もないから家族連れは少なくて、そのかわりに待ち合わせの人や、買い物のひとやすみといった感じの人がのんびり過ごす。ベンチの列の途切れたところに水道を見つけたときに、おーしここ!という気持ちになった。さぁなにはなくともやってみよう。

ニコニコしながらテーブルをひらけて準備をはじめる。行き交うひともすこ〜し歩くのをゆるめ、こっちを眺めてくださるからなんとなく感触がよい。ここまでの経験だけれど、やっぱり人通りが多いことがよい条件ではなく、”あぁなんだろ〜?”って通りゆく人が見てくださるぐらいの人の量や空間のゆとりがあるほうがよい。

大通り公園のファーストドリップを飲んでくださったのは、地元に住むご夫婦だった。「あら、コーヒー。いただこうかしら。」と奥さんがお声がけくださった。旦那さんは、奥さんの肩に右手をそっと置いて、こちらを見ておられる。

「実はね、この人はもう目が見えないの。」

奥さんに言われて旦那さんのもう片方の手元を見ると杖があった。

「つい最近まで見えていたのよ。15年前にね、目の病気であることをお医者さんに告げられて。それからはね、目が見えるうちになんでも見に行こうとふたりでずいぶん旅をしたわ。おかげでいくつも夢がかなったの。」

旦那さんは、あたかもぼくの表情を捉えているかのようにこちらを見ながら話を続ける。意外と不自由しないものですよ。と穏やかに続けられた。

あなたに会えて嬉しかったわ。そう話されたあと、ご夫婦は寄り添うようにまた散歩の続きに向かわれた。

人生において何か大きな変化が起こること。それには心の準備ができるもの、そんな間もなく変わってしまうものもあるだろう。このご夫婦にも大きな壁と向き合い続ける時間があったのかもしれない。

人生においても、旅においても、目の前に大きな壁のようなものが立ちふさがることがある。それは遠くに見えていたものに近づいていった結果ではなく、でっかい岩がいきなりドシンと目の前に落ちてきて、行く手をさえぎられてしまったようなものかもしれない。

そこを登るのか、岩のまわりをまわっていくのか、はたまた自分の歩んできた道を少し戻って別の道を探すのか。答えはきっとひとつじゃない。大切なのはそこに長くとどまってしまわないことだ。そうしていつかそのことを振り返って遠くに岩が見えるくらいになったときに、あれがあったから今があるんだな、なんてことを言えるようになるのかもしれない。


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