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自分の感情へのアクセス

自分の感情にうまくアクセスできないと感じることってありますか。

昨日は朝から頭が重かった。
しっかり寝たのにおかしいな、コーヒー飲めば頭が冴えて気にならなくなるかもしれない。そんなことを思いながらバタバタと朝ごはんの準備とお弁当作りをしてあわただしく子供達を学校に送る。なんとか間に合って、家に戻る車の中で改めて頭がモヤモヤして重い感じに気付く。カフェインもいい加減きいてきたはずだし、体調が悪いわけでもなさそう。ちょっと待って、もしかしたら私今悲しいのかもしれない。と思う。悲しいんだとしたらなんでだ!?息子と今朝ちょっとした言い合いになって、強く言い過ぎたからだろうか、もしくは旦那が出張で2週間もいないから寂しいんだろうか。それともホルモンの仕業?結局考えてもよくわからなかった。でも悲しいという感情が確かにあった。何かが私の頭を重くしていて、それによって私に何かを訴えかけている。

午後に来客の予定があったので掃除をしないといけないと思い、作業モードに入る。耳が暇だしなんとなく気持ちを紛らわしたいのもあってオーディブルで耳読しながら床に散らばったおもちゃを拾う。掃除もひと段落してちょっと一休憩と思って座ったら、頭の重さが全然軽減されてないことに気が付く。モヤモヤした何かがそこにいる。でも、原因もわからないからどうしていいのかわからない。
何気なく、久々に好きなアーティストの歌を聴いてみることにした。最近は情報系のインプットばかりしていて、歌とか映画みたいな心を揺さぶられる系は無意識に避けていた。聴き始めたら、涙が溢れるようにでてきた。閉じ込められていた感情が、やっとドアを開けてもらえたといわんばかりに流れ出る。もはやなんで泣いてるのかもわからない。過去の悲しかった気持ちとか、大切な人に会いたい気持ちとかが押し寄せてきて涙が止まらない。歌から伝わる歌い手の想いが、自分の気持ちにアクセスする鍵になって、開け放ってくれた。ひとしきり泣いた後、なんとなくスッキリした。感情は外に出るドアが開くのをしばらく待っていたようなのに、気づいていなかった。

感情を動かされると、疲れる。ここ最近お別れがあったりして、なんとなく心が弱っていた。とにかく頭で考えて、タスクを一つ一つこなすモードにしていないと、寂しさやネガティブな感情が忍び寄ってくる。頭ではそれは普通のことだし、感情を否定する必要はないと思ってても、無意識に「感じていい感情」と「感じてはいけない感情」を選別して後者を抑圧しているらしい。寂しさ、悲しさ、虚しさ、嫉妬、不安みたいないわゆるネガティブな感情には「あなたは今出番じゃないから邪魔しないで」と蓋をしている。自分の感情の機微に気付ける状態でありたいけど、実際には感情を蔑ろにする癖がついてしまっている。いわゆるポジティブな感情はともかく、ネガティブな感情はいろんな判断を鈍らせて、生活やコミュニケーションの邪魔をする気がする。でもポジティブな感情と同じくらいネガティブな感情だって目を背けずに向き合う必要があるのかもしれない。頭痛とか腹痛とか身体にサインがでるまで気づかないというのは健康的じゃない。私はいつも自分の感情を押し殺してでも表面的にうまくいくことを選びがちだということに最近になってようやく気が付いた。
もう自分との付き合いも40年以上になるというのに今だに自分の感情の扱い方をわかっていないと感じる。自分の心をうまく開放できる方法を見つけていかないといけない。
いつも優等生ぶりたがる私の理性と、もっと自由でありたい私の心のバランスをどうやってとっていくか。そんなことを考えた一日だった。


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