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認知症の姑の介護体験で感じてきたこと④

公園横の緋寒桜🌸が咲き始めた。
桜を見ると、施設に入るまで、毎年のように姑と行ったお花見を思い出す。

冬に舅が亡くなって、その翌年の春、夫と姑と共に、車で少し走った所にある県立の自然公園にお花見に行った。

その時夫が撮ってくれた私と姑のツーショット写真がある。まだ二人の笑顔は自然で明るかった。

その翌年、姑が我が家に来て同居が始まり、好きだったタバコもパチンコもやめて、元気がなくなっていった。
好きなビールも少しずつ飲まなくなっていった。

老人性の鬱もあったかもしれない。
顔に表情がなくなっていった。

姑の気分が晴れたらと思い、姑を連れておにぎりを持って近くにお花見に行った。

姑の認知症は進行していて、時々幻視があった。

道を挟んで向こうに見える、大きな桜の木を見て、「お母さん、桜、綺麗だね🌸」と私が言うと、姑は「おじさんが二、三人、木の上に座っている」と言った。

「えっ?どういうこと???」
わたしはその言葉の意味がわからず、今一度桜の木を凝視した。

私に木の上のおじさんは見える訳もなく、「あぁ…せっかくのお花見もこんな感じか…。これが認知症か…」😞。
これが本音だった。

姑は買い物が楽しみで、よく洋服屋さんに寄って欲しいと言うので、一緒に行くと長い時間かかって服を選んでいた。

そこで会った知り合いも、また店員さんも「お母さんのお付き合いしてあげているの?えっ!お嫁さんなの?えらいね」と、そっと褒めてくださった。

「別に『いい嫁』ぶっている訳ではないんだけど…」と思いながら、そう言われると背中がむず痒く、一言では言い表せない複雑な心境になった。

姑がこちらに来て、まず探したのが、年配の方にも優しい美容院。

幸い、私が共に活動をしている方が、ベテランの美容師さんで、ご自分の親の介護も経験されて来た方というので、安心してその方にお願いした。

その美容院までは少し遠く、車で25分ぐらいかかるのだが、「1ヶ月に一度、姑も気分が変わっていいだろう、母とのドライブだ」と思って通った。

その美容師さんはとても優しく、オシャレにこだわりの強い姑も気に入ってくれた。

そして、姑を迎えにいって待っている私に、毎回、温かいコーヒーとアメ玉を下さった。

そのアメ玉には、その方の私への労いの気持ちがこもっている気がして、有り難くて、ちょっと泣きそうになった。

気持ちがとても安らいだ。
多くの人に支えられての介護の日々だった。

美容院の帰りには、必ず近くの『王将』で揚げそばを食べて帰る、というのが、姑お気に入りの、お決まりのコースになった。

桜を見ても、『王将』の揚げそばを食べても、姑との思い出がよみがえる😌

私の人生にとって、心が大きく揺さぶられた日々だった。
葛藤、戸惑い、怒り、虚脱感、愛おしさ、複雑に絡む自分の心と向き合った、学び多き時間だった。



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