見出し画像

流離と意馬心猿(2)「旅先ないない」

流離(サスライ)
郷里をはなれて他郷にさまようこと。流浪。

使用例:さすらいラビー ※違う

広辞苑

意馬心猿(イバシンエン)
煩悩や情欲・妄念のために、心が混乱して落ち着かないたとえ。また、心に起こる欲望や心の乱れを押さえることができないたとえ。心が、走り回る馬や騒ぎ立てる野猿のように落ち着かない意から。

いろいろと考えが変わって、一つのことに落ち着かないこと。

対義語:明鏡止水

三省堂新明解四字熟語辞典・広辞苑


1時間12分、あえて乗ったこの各駅停車の電車の中で絶対に書き終えてやる。自分にリミットを課すことができない怠惰な人間の追い込み方は実に物理的であり、依存的である。車掌さん、通過待ち、ゆっくりしてくれていいよ。あるあるの反対語に「それないないすぎる(笑)」という会話のやり取りが個人的にツボで、この題名になりました、急にちょっとダサいね。
ではいってみよう。旅2日目。



無職旅2日目の朝は「珈琲館 麗(うらら)」のモーニングから始まった。

4日目に奈良駅で母と叔母と合流し、介護施設にいる祖父と面会し、かつ女子会を謳歌しようということの他に、決まった計画はなにひとつなかったため、水波に聞いた。
「名古屋ってあとどっか行くべきとこある?」
「だーから、もうないって。温泉とか行けばぁ?あと伊勢神宮」
アイスココアを一口で吸い上げながら水波が答える。その一口で、彼女の手元のグラスはココアの色を失っていく。(肺活量の)すごい奴だ、相変わらず。
「うわいいじゃん。今日温泉行って明日伊勢神宮行こ、」

喫茶店のモーニングというのは、孤島のようだと思う時がある。
朝=忙しいという定説的な時間の流れを押し付けることなく、客をそれぞれに置き去りにしてくれる。新聞を広げ、背中を丸めながら珈琲をすする老人も、トーストそっちのけでお喋りに興じる夫婦たちも、スマホで調べながら旅のルートを思索する私たちもみな、許されているような気がしてくる。
前もっての準備段取りに苦手意識がある私も、この場での意思決定には根拠のない自信すら芽生える。そう。「根拠のない」自信が。

未踏の地で楽しむ温泉には、長島温泉を選んだ。
右手(別に左手でもいい)の5本に収まるほどしかいない学部の友人のひとり、千夏(ちか)の実家が桑名にあり、ご両親が中華料理屋を切り盛りしているのを聞いたことがあったからだ。
お邪魔させて頂こう、と突如思い立った。
いつも新幹線で通過する名古屋大阪間の土地勘のない私にとって、聞いたことのある土地名・桑名はさながら真っ暗な映画館の中で控えめに、しかし確実に足元を照らしてくれるライトのような安心感を与えてくれた。

長島温泉へは桑名駅からバスが出ていたので、夕方まで長島温泉を堪能し、桑名駅に戻ったら千夏の実家で中華を堪能させてもらうことにしよう。LINEすると千夏からすぐに快諾の返事をくれた。

私は本当に友人に恵まれている。
窓際の孤島で私は、なんて素敵な1日になるだろうと、想像を膨らませていた。

喫茶店を出て水波に感謝と別れを告げ、長島温泉を目指した。別れ際、握手でもしたかったが、思いの外さっぱりと水波は踵を返して帰っていった。寂しいような、彼女らしいような、なんだか初めてドライフルーツを食べた時のような戸惑った気分になったのは、奴には内緒にしておこう。


昨日のカネコアヤノのライブのセトリをお守りのように流し続け、近鉄名古屋線に乗る。途中、車掌さんがどこの駅まで乗るか尋ねていく。ナントカ駅から先はICカードが使えないからどうのこうのと、ナントカ駅を目指す乗客に都度説明している。イントネーションにふんわりと西の方言が感じられ、自分が旅をしていることを私は実感する。

どこかの町の美術館に向かうおばあちゃんたちと肩を並べてバスに乗り、長島温泉に向かう。
実を言うとバスが苦手だ。特に知らない土地で乗るとなると気を抜けない(ゆえにヘッドホンをして音楽を聴けない)し、超スーパーローカルな情報を丁寧に教えてくれる車内放送は、かえって私が他所からきたことを突き付けられる気がしてしまうから。あと、そんな緊張を上回るバスの揺れが、見知らぬ土地でも睡魔となって襲ってくる場合があるから。
能天気が過ぎる、と自分に苦笑しつつ、Googleマップで温泉の手前に何か観光できる場所はないかと探しながらバスに揺られていると、
見つけた。

樹齢2000年のオリーブの木、なるものを。

当時の私にとって齢(よわい)とか生命とかいう言葉は、単なる言葉以上の意味を持っていた。初めての甥っ子が旅の2週間ほど前に生まれたからだ。
2000年、その果てしない数字に引き寄せられるように、私は長島温泉の一つ手前のバス停で降車し、オリーブの樹を目指し歩き始めた。

ほどなくしてオリーブの樹に辿り着いた。神々しさというよりは「根」を感じる、堂々とした樹がそこにはあった。奥には2桁ほどの樹齢を有するオリーブの樹がたくさん植わっており、樹齢2000年のオリーブの樹は、そのすべての母のような存在感を放っていた。雲ひとつない晴天で、甥っ子も、兄も、兄の奥さんも、家族も友人も親戚も小中高大の先生たちも、なんというか皆が、みんながずっと健康であってほしいと、またも私は旅の実感を変なところで得ていた。



今回の旅、やけに細々としていて進まない、ここまで読んでもらってそう思う方も少なくないと思う。なにより私自身がそう思っている。
ここから先、旅先ないないのオンパレード。意馬心猿な、後先考えない行動が引き起こすトラブルの連続。

旅先ないない①:バス一駅分歩くつもりが、高速道路の料金所に迷いこむ
ーーーgoogleマップ信じられなくなった初めての経験。バスを調べようにもそもそもバス停が数キロ先にしかないという現実。空は無慈悲にも青く澄んでいた。

旅先ないない②:ナガシマファームのおじさまに助けられる
ーーー絶望の二文字を顔に張り付けながら来た道を戻り、オリーブの樹のそばのナガシマファームに助けを求めることにした。バスを降りる時、女子大生と思しきキャリーケースを転がす三人組を見て、きっとこの方々も温泉まで歩くんだろうと安心していた自分が恨めしい。彼女らはナガシマファームのいちご狩りに向かったのだと、今になって合点がいく。
恥を忍んで直売所のお姉さんに「長島温泉まで歩こうと思ってるんですけど…」と道を尋ねると、「歩いて?!?!」と聞き返された。己の取ろうとしていた行為が愚行だと知らされるときほど、消え入りたくなることはない。
すると奥からスタッフのおじさまが、「今車回しますから乗っていきますか」と声をかけてくれた。誇張なしに膝から崩れ落ちそうになったのと、泣きそうになったのをこらえ、ご厄介になった。おじさまは温泉に着くまで、オリーブや近辺の交通事情について話すことで穏やかに場を繋いでくれた。
「楽しんできてくださいね」と微笑みかけてくれたおじさまに、膝の皿に額が当たりかねない深さのお辞儀を返し、私は無事長島温泉に辿り着くことができた。

旅先ないない③:長島温泉、ソロで来るスポットではなさそうなことに、着いてから気づき、帰りに再確認する
ーーー同じ轍を踏まぬよう、帰りのバスの時間をチェックしてから温泉に向かう。視界の手前にアウトレットパーク、奥に車で帰省するたびに「あそこなにー!」と兄に聞いていた長島スパーランドの大きなジェットコースターが映る。帰りのバスを待つ間、前も後ろも4~5人組の学生で挟まれていた。
温泉は、とても気持ちよかった。

旅先ないない④:桑名駅でタクシー50分待つ
ーーー駅前の電光掲示板で、中川家がコントにしそうな地元のCMが延々と流れ続ける。流浪人を、2月の夜風が容赦なくぶつかっていく。この50分の間にタクシー乗り場に並び、離れていった人を4人、私は確認した。

旅先ないない⑤:千夏の実家の中華屋さん、そういえば千夏本人いないのにお邪魔するの結構変なことしてるな、と着いてから気づく
ーーー千夏と私の共通の友人に今日1日の行程を報告すると、「え、千夏今そっちにいるの?」と返事が来た。「いやいないよ、ご実家の中華食べさせてもらってる」と返した。
「千夏いないのにそっちいるの?おもしろ笑」という返答を見て、回鍋肉を食べる手が止まった。確かに。


旅先ないない⑥:千夏のご両親が私に優しすぎる(千夏、千夏のお父さんお母さん、ありがとうございました)
ーーー千夏の、まっすぐに人の素敵なところを見出してくれる優しさと、少しぶっきらぼうに見えるけれども目の奥にしっかりと愛情が映っている大人っぽさと、私が千夏に抱く、年上の従妹のおねえちゃんに対するものに近しい憧れのような、もっと仲良くなりたいと感じるむずがゆさと、そういうの全部、千夏に会って話したいな、と思った。素敵なご両親に美味しすぎる中華、心もお腹も満たされて、ごちそうさまでした、!



この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?