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フジファブリック「赤黄色の金木犀」

意識的に、ではなく、気づいたら琉花るかは、深呼吸をしていた。


―――あ、久しぶり。この香り。このにおい。


琉花の嗅覚とひとつの記憶を呼び起こしたのは、秋の到来を最もわかりやすく伝えてくれる風物詩筆頭にあがるだろう、キンモクセイの香りだった。

琉花は自分の名前に漢字が含まれていることをきっかけに、物心ついた頃から「花」に幾分かこだわりがあり、それは「花の名前は漢字で覚え、漢字で書く」という文学少女チックな一面に現れたりする(他には、何かを例えるときに花言葉や香りを引用する、日記の締めくくりは何色の何のお花、で締めるなど)。

しかし、キンモクセイは琉花にとって「例外」の花だった。花を漢字で書きたいという謎のこだわりゆえ、自然と漢字に興味を持つようになり、小学4年生にして漢字検定3級に合格してからも、琉花はキンモクセイだけは‘金木犀‘ではなくキンモクセイと綴る。

―――健やかさと甘さを兼ね備えつつも主張しすぎない、この控えめで複雑な香りを、犀という漢字一文字にその複雑さを背負わせようとする魂胆見え見えの字面が、釣り合わないのよね。

自分がキンモクセイを頑なに漢字で綴らない理由を、琉花はぼんやりと思い出す。同時に、


―――君と付き合う記念にさ、君の一番好きな花の話をしてよ。


草太が突然言い出したのだった。初めてのデートで「お気に入りのお店なんだ」と連れてきてもらったそこは、花の話題で盛り上がるにはおよそ正反対といえよう高架下の大衆居酒屋だった。

草太は例えるならオオイヌノフグリのような人だった。ライトブルーのシャツや深緑のスウェットの似合うお洒落な青年だった。晴れた日の公園が似合う穏やかな性格をしていた。マッチングアプリでやり取りをはじめ、LINEを交換してからお互いの本名を知った。それぞれの名前に「花」と「草」が入っている事実を恥ずかしげもなく「運命だ」といって草太は電話越しに嬉しそうに笑った。そんな健気さに惹かれた。

草太は一緒にいる時はいつも、琉花のことをきみ、と呼んだ。小説やドラマでしか二人称は使われないとなぜか思い込んで生きてきた琉花は、だからびっくりした。こんなキザな人がいるのね、と。だけどすぐに慣れた。「花」がつく、女の子にありふれた名前を呼ばずして、自分の名前を世界一特別なものにしてくれる呼び方だった。そんなくすぐったさが心地よかった。

草太は例えるなら秋桜コスモスのような人でもあった。草丈が高く、ゆらゆらと風になびく秋桜。少し優柔不断なところがあって、「今日も後輩の相談に乗ってて…」と、職場の人間関係に巻き込まれやすかった草太。秋桜が花を落として徐々に枯れていくように、琉花と草太の合う頻度は、すこしずつ静かに、でも確実に減っていった。薔薇のような「後輩」によって、琉花と草太の日当たりのいい公園に陰がさしていった。


ふうっと、息を吐く。


もうちょうど1年も前のことが、こんなにも鮮明に思い出される。今吐いた息は煙草の煙か、ため息か、琉花にはその区別がつかない。駅前の喫煙所を出て、家路につく。

すんと、息を吸う。

琉花の昔から敏感な嗅覚がまた、キンモクセイの香りに反応する。

健やかさと甘さと、どこか鼻に抜ける苦みを、今夜のキンモクセイは琉花に届ける。



≪終≫


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解説という名の言い訳

ママタルトの漫才に沼ったのをきっかけに、芸人さんのツッコミ台詞とかトーク番組のスクショを題名にしてツッコミワードを織り込んで小説書いてみてたけど、早くも断念。

てなわけで今回のは今日のお昼に鼻に不自然なほど自然に入り込んできたキンモクセイの香りにインスピレーションを受けて作りたくなったお話でした。


最後まで読んでくれた方、本当にありがとう。明日作るゆで卵は、きっとあなたの大好きなゆで加減になることでしょう。


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