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蛙化現象における自己認識のズレについて考えてみた


今から一年以上前に、蛙化現象について記事を書きました。

当時は自分の中の蛙化現象と向き合えたと思っていたのですが、

いろいろとまだ自分の中で消化できていなかったことがわかり、その後記事を削除しました。

そんな中で、この一年以上の間に気づいたことがあったので、今回はそのことについて書きます。

本当はきちんと深掘りしたかったのですが、とりあえず今回は自分と他者との認識のズレとその原因に焦点を当てて書きます。



さて、

蛙化現象は説明するまでもないかもしれませんが、簡単に言ってしまうと、

好意を持たれると気持ち悪いと感じてしまう現象のことを言います。

なぜ好意を持たれると不快感や嫌悪感を持ってしまうのか。

それは冒頭でご紹介した通り、自分と他人の認識のズレから来ています。


例えば、自分は頭にお花をのせた人間・・・・・・・・・・だと思っています。


だけど、まわりから見たら、自分はこう映っているのです。



…おわかり頂けるだろうか。

そう、つまり、以下のような図式なのです。

他人からは立派な薔薇に見えるけれど、自分の中ではなんか頭の上にのっかってるよくわからない花でしかないのです。

たいして手入れもしてない、いつ生えてきたのかも、いつ咲いたのかも覚えていない花なのです。

あくまでも頭の上のお花はオマケみたいなもので、メインはお花を生やした本体(自分)だと思っています。

しかし、他人からは立派な薔薇だと思われている。

―キレイな薔薇だね。
―美しいね。

そう言われて、本人はどう感じるか。



え、そっちがメインじゃないんだけど…。


ってか、“薔薇”とか、なんかキモッ・・・





これが、好意を向けられたときの気持ち悪さや不快感の正体となります。(すべてとは言えませんが)

自分の中で意識していない部分(女性性)を好かれることに戸惑ってしまう
あくまでオマケの部分(女性性)だけ見て好かれても嬉しくない


蛙化現象には、そんな心理が働いています。

要するに、相手と自分の認識にズレが生じてしまっているのです。

自分としては、そんなつもりじゃないのです。

そもそも、頭の上に薔薇が生えていると思っていないのです。

オマケに相手の目には本体の自分は映っておらず、薔薇だけが認識されています。

当然、本人としては、「???」と混乱状態に陥ってしまいます。




ここからが本題です。

私たちは、本当は薔薇なのです。

正確に言うと、薔薇に見えている自分正しいのです。

しかし、薔薇を褒められると、本人はひどく混乱してしまいます。

自分は薔薇のつもりで生きていないのに、どうしてまわりからキレイな薔薇だねと褒められるのか。

キレイな薔薇を育てた覚えすらないのに、どうして他人が寄ってくるのか。


蛙化現象の原因の一つには、強い自己否定感があるとされています。

それ以外にもさまざま要因が挙げられていますが、私自身の経験を踏まえると、

女性性(女性らしさ)の抑圧と深いコンプレックス

が、一番大きな要因に感じます。


女性には、本来豊かな女性性が備わっています。

それを健全に育むことができればいいのですが、何らかの原因によって豊かな女性性が育めないことがあります。

例えば、

  • 性に奔放な親に育てられた

  • 逆に性に関してしつけが厳しかった

  • 思春期に適切な対応をされなかった(下着や生理用品を買ってもらえなかった)

  • 性にまつわる嫌なイメージを植え付けられた

などが原因となって、自分の中の女性性を嫌ったり抑圧してしまうことがあります。

本来は豊かな女性性が備わっているのに、自分の中にある女性性を否定してしまうのです。

私の場合、母親が潔癖のような面があり、

  • 新しい服を見せると、いつどこで買ったのか聞いてくる

  • 出かけようとすると、どこかよそよそしい態度になる

  • 香水をつけると、“臭い”と言われる

  • 化粧をすると、“濃すぎる”と言われる

など、間接的に無意識レベルで女性性を抑圧されてきました。

また、私の家庭は父がモラハラ気質で、母はしょっちゅう父の暴言にさらされていました。

そんな母親を見ているうちに、いつのまにか私の中で女性性が抑圧され、

それと同時に、健全に女性性が育たなかったことに対するコンプレックスのようなものも生まれていました。


何度も書きますが、本来女性には豊かな女性性が備わっているのです。

この美しく豊かな女性性は、努力したり我慢したりして獲得するものではなく、もともと私たち一人ひとりの中に備わっているのです。

その証拠に、何もしていないのにまわりからキレイな薔薇だと褒められるのです。

ただし、女性性が抑圧された状態だと、その好意をうまく受け止めることができません。

“そこがメインじゃないのに。”
“本当の私(薔薇じゃない部分)を知ったら、がっかりされるのでは?”

そんな不安がつきまとい、なかなか素直に受け取ることができません。

では、一体どうすればいいのか。



解決策として一つ言えるのは、自分はキレイだと認めてしまうということです。

誰かから褒められたら、

「そうなの、私ってキレイでしょ♡」

と開き直っていいのです。

“え、でも薔薇がメインじゃないんだけど…。”

と相手の好意を否定せずに、

「あら、ありがと♡」

と、女王様のように受け取っていいのです。

とはいえ、薔薇のつもりで生きていないところに、いきなり受け取れと言われても難しいかもしれません。

つまり、自分が自分をキレイな薔薇扱いする必要があるのです。

誰かに言われるよりもまずまっさきに、自分が自分に対してキレイな薔薇だねと言ってあげるのです。

年齢や容姿や女性としての能力関係なく、鏡の前の自分に向かって

私って今日もキレイだわ~
私って今日も美しいわ~

と言ってあげます。

まずは自分が、自分の美しさを認め、称賛する必要があるのです。

そこで初めて、他人からキレイな薔薇だねと言われても、

“見る目あるじゃん。”

と余裕な気分で受け止めることができるのです。



もしも心に余裕があれば、どうして自分の中で女性性を抑圧してしまったのかその原因を探ってみてください。

そこで、立ち止まっている自分に

あなたは汚くなんかないよ
あなたは醜くなんかないよ
あなたはキレイだよ
あなたは愛されていいんだよ
あなたはもっと愛されていいんだよ

と声をかけてあげてください。

どうかあなたの中にもともと備わっている豊かな女性性に目を向けてあげて、少しずつでもあなた自身の手で愛でてあげてください。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました🌹✨


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