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自分が生まれてきた目的は男性性を癒すことだった


これまで、何度か男性性について記事を書いてきました。


ただ、男性性の傷は根深いもので、未だに完全に癒しきれていないなと実感しています。

今回はそんな中でいろいろと気づいたことがあったので、記事にまとめます。



さて、

男性性についての記事は去年から改めて書こうと思っていたのですが、

今回書こうと思ったきっかけは、ある晩に突然涙するという体験をしたからです。

ツインレイとの性エネルギー交流(テレパシー)が始まってから、相手の感情がバンバン入ってきて涙が勝手に出てくるという現象が頻発していたので、

ああまたか、とそのときは思っていたのですが、

その悲しみが、どうも相手の感情でもなければ、自分の感情でもないような感覚がしたのです。

自分の感情のときは、全身の細胞から悲しみの感情があふれてくる感覚がしますし、相手の感情のときは、身体がのっとられながらもどこか冷静に俯瞰している感覚になります。

ただ今回は、そのどちらでもない、不思議な感覚がしました。


はて。これはいったいどこからくるのか。

理由もわからずに、突然“無力なことに対する悲しみ”のような感情で胸が痛み、ポロポロと涙が出てくるのです。

そうしているうちに、

守れなかった

という言葉が降りてきました。

そこで私は、これはもしや前世の悲しみなのではないか…?という結論にたどり着きました。


私自身は前世の記憶がまったくありません。

ただ、なんとなく男性、もしくは男性性が強めの人生だったのではないかなと感じています。


そんな私(の前世)が、

すごくすごく大事な人を守れなかった

と、泣いているのです。

守りたかったけど、守れなかった。それがすごく悔しい

と。


私は姉を自死で亡くしてはいますが、失った悲しみの感覚としては恋人や配偶者のような、もっともっと身近な存在なのです。

そこで私は、似たような状況を再び今世で経験することで、男性性の傷を癒そうとしているのではないか、と感じました。

(自分で言うのもなんですが、同じような経験を上塗り・・・しそれを乗り越えることで、より強い光へと昇華しようとしている魂の意図を感じます)



傷ついた男性性は、本来の力をうまく発揮できません。

頑張るべきところでブレーキをかけてしまったり、逆に休むべきときに自分にムチを打つような行動をとってしまいます。


男性性は、繊細です。

男性性は、成果主義です。結果がすべてです。

だからこそ、うまくいかないと真っ先に傷つきますし、ダメージを負います。

男性性が強くなりすぎると、横暴になったりワンマンな態度を取り孤立するとされていますが、男性性が傷つくと、

自分の存在意義を心地よさや自己満足感(=女性性)よりも、他人の評価や数値や結果に求めるようになります。



男性性の本来の役割は、女性性の望みを叶えることです。

しかし、男性性が傷ついた状態だと、うまく女性性の望みをキャッチすることができません。

自分の感覚よりも、世間の常識や固定観念や他人の評価を上にしてしまうので、

自分(女性性)を置き去りにし、自分以外の何かを満たすために、その力を発揮するようになってしまいます。


男性性は、認められたいのです。

あなたがいてくれて助かったわ。
あなたがいてくれてよかった。
あなたと出会えて幸せ。

そう言われたいのです。


女性性が願う→男性性が行動する→女性性が幸せになる→男性性も幸せになる→女性性がさらに願う→男性性はもっと叶えようとする

というサイクルが、私たち一人ひとりの中にある女性性・男性性の理想のパートナーシップです。


しかし、男性性が傷ついている状態だと、そのサイクルがうまく機能しません。

女性性が願う→男性性が否定をする→女性性が願うことを諦める→男性性は幸せにする対象を見失う

といった具合に、それぞれがすれ違ってしまいます。



加えて日本は、男性性が傷つきやすい社会だと感じます。

日本にはさまざまなジェンダー格差などが指摘されていますが、

その根底には、性別問わず私たちの男性性が傷つけられそのまま放置されている状態が原因となっている気がします。


と言うのも、良し悪しは別として、日本には中東のように宗教を軸としたはっきりとした男性優位の文化が築かれているわけでもなく、

欧米のように、レディーファーストが当たり前の紳士的な文化が根付いているわけでもありません。

日本は男性に対する“強さ”や“優しさ”の定義が曖昧で、そのために男性のアイデンティティーを形成する要素が弱い印象を受けます。

つまり、男性に対してポジティブなイメージを与えてくれる文化や習慣が他国に比べて欠けているのです。

そのため、日本は男性性が傷つきやすく、その上傷ついた男性性に対する差別のようなものが存在している感覚がします。



私たちの男性性のモデルは父親です。

その父親が傷ついた男性性を抱えている状態だと、それを性別問わずにそっくりそのまま引き継いてしまうことになります。

自分の感覚(女性性)を大事にできず、社会や世間体の目を気にして生きるようになってしまうのです。

そしてまた、恋人やパートナーに自分の中の傷ついた男性性を投影し嫌悪感や怒りを覚えてしまい、

健全なパートナーシップを築くことが難しくなってしまいます。



私はときどき、過去の嫌な出来事を思い出してネガティブな気持ちになることがあるのですが、それはずっと女性性の感覚だと思ってきました。

理不尽なことを言われたのに言い返せなかった
一方的に侮辱されたのにやり返せなかった


なぜ、へらへら笑うことしかできなかったのか
なぜ、自分の気持ちを優先することができなかったのか


しかし深掘りしてみると、それは男性性の

守れなかった

という深い悲しみからきていました。

自分のせいで…
自分がもっと強ければ…
傷つかずに済んだのに…

と、私の中の男性性はずっと後悔してきました。



今回の件で、自分が日本に生まれた理由は傷ついた男性性を癒すためだと気づきました。

男性性が傷つきやすいこの日本で生まれたからこそ、男性性を癒すことで自分の魂をより豊かにしようと意図して生まれてきたように思います。

ミソジニーやミサンドリーが複雑に絡み合っている状態を断ち切り、

自分の中にある女性性、男性性をそれぞれ立ち直らせること。

特に、男性性を癒すこと。

なぜなら、男性性の存在意義は女性性の望みを叶えるという、ある種依存的な役割だからです。

女性性は“無限に湧き出てくる泉”であるのに対し、男性性は女性性の喜びがないと成立し得ない存在です。

男性性は、“女性性が喜んでこそなんぼ”なのです。



では、具体的に男性性を癒すにはどうすればいいのか?

ということについてですが、長くなってしまうので次回に改めて書こうと思います😊



ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました🍀



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