便利な生活がかえって人を退化させると思った話
去年亡くなった祖母が住んでいた家を一年ぶりに訪れました。
祖母の遺品どころか、二十年近く前に亡くなった祖父の遺品整理もあまり進んでいない状態の家に寝泊まりしたのですが、
昔ながらの二槽式洗濯機にてこずり、蜘蛛の巣だらけの庭木の剪定中蚊に刺されまくり、
挙句の果てには、寝泊まりしていた部屋の畳がシロアリに食べられていることが発覚し絶叫、という令和の時代にはなかなかできない体験をしてきました。
そんな体験のなかで、いろいろと思ったことがあったので、今回はそのことについて書いていこうと思います。
そもそも、この記事を書こうと思った背景には、過去の忘れられない体験があります。
それは、私が大学卒業後家にひきこもっていた時に、もう一人の祖母の付き添いで何度かある田舎に短期間滞在したときのことです。
そこは祖父の実家があり、近所には祖父のお墓もあったのですが、もう何十年も人が住んでいない家でした。(戦時中はそこへ疎開していたそうです。)
祖母は毎年夏になると、祖父の実家に新幹線やフェリーやバスを乗り継ぎ一日かけて帰省していました。
その家はとても古く江戸時代末期に建てられたとされ、いわゆる“階段箪笥”と呼ばれるものなどがあり、まるで歴史博物館に住んでいるようだったのですが、当然クーラーなどはなくトイレも汲み取り式でした。
そして何より、田舎だったからか虫が多く、
寝ていると足元にトンボが落ちてきたり、玄関のドアを開けた瞬間上からムカデが落ちてきたり、
居間に座っていると500円玉くらいの大きさの蜘蛛がすぐ目の前を横切ったりしていました。
当時の私はそんな祖父の実家を、某有名曲から“みんなみんな生きているハウス”と名付けてました。(虫を“友達なんだ~♪”とは思えませんでしたが😅)
こうして書いていると、当時はよくそこで寝泊まりしていたなと思うのですが、
家にずっとひきこもっている状態だったので、なんとか環境を変えたかったのと、
“祖母の付き添いをする孫”、という称号を与えられたことで、
ひきこもっていることの罪悪感が打ち消され、“普通の人”という市民権を得たような安心感があったように思います。
なにより、祖父が亡くなったあとも定期的にその家を訪れ、お墓参りをしたり庭の手入れをしたり、手作りのおはぎを近所の人に配ったりと、
祖父の実家での“暮らし”を守っていこうとする祖母の姿が好きだったことが大きかったように思います。
そして、そこで私が何を体験したかと言うと、とにかく日常の全てが“ままならない”ということです。
その家は山(丘?)の上にあったため、買い物するのにいちいち下に降りなければならず、
坂道を1キロ近く下った後、100段以上ある石段をさらに降りた先の商店街で買い物をしなければなりませんでした。
そんな中で、とにかく何をするにも
時間がかかる
手間がかかる
疲れる・暑い・かゆい・臭い・汚い
と、思い通りにいかないことが多く、なにかと我慢をしたり不便を感じることが多々ありました。
また、花火大会が開催された際には、花火が見える場所まで下りるために、戦後に拘置所として使われていた建物の前を通らねばならず(今は観光地として無料で公開されているようですが)
街灯もあまりない中で、懐中電灯片手にびくびくしながら一人で夜道を歩いたこともありました。
祖父の実家のまわりにはあちこちに古びた井戸や石垣があって、もうその町自体が肝試しスポットのようでした。
霊感の全くない私ですが、霊感のある人が訪れたらたぶん普通に何か見えるんじゃないかとさえ思っていました。
つまり、そこでの暮らしで私は
普段の生活では得られない、“ままならないこと”や“目に見えないものへの怖れ”を経験しました。
けれど、そんな生活が私には楽しかったのです。
時間がかかったり手間がかかる一つ一つの動作がとても新鮮で、人としての限界を感じさせられるのと同時に、“生きている感覚”がしたのです。
それに比べて、都会での生活はボタン一つで何もかもが完了し、スマートで便利な一方で、自然から切り離され人としての限界を感じないことで、
“生きていること”に触れる機会が減ってしまったように感じました。
そのため、今思うと、
うまくいかないことや思い通りにいかないことに対する耐性がなくなってしまったり、
なんとかなるさ、そんなこともあるさ精神が薄れてしまっていたように思います。
便利で快適な暮らしを送っていると、“自分は何でもできる”という全能感のようなものが知らず知らずのうちにあったのですが、
そのぶん、失敗することや思い通りにいかないことに出くわした時のショックが大きくなってしまっていたような気がしました。
もちろん、便利な世の中になったことで、時間や空間の制約から解放され快適に暮らせるようになった面はありますが、
ふと、“不便を身をもって経験すること”や“ままならないことに翻弄されること”が、かえって人の心を豊かにするのではないかと思ったのです。
というのも、思い通りにいかない経験から、
失敗することは当たり前
うまくいかなくてもまたやり直せばいい
という発想になり、そこから、
生きることは本来“ままならないこと”なのだ。
だから、泥臭く生きていいし、カッコ悪くたっていい。
それが、本来の人の生き様なのだ。
もともと、スマートに生きられないのが人間なのだ。
うまくいく方がおかしいのだ。うまくやろうとするほうが無理があるのだ。
多少の恥をかいたって、失敗したってなんてことはない。
それが本来の人間の姿であり、何も取り繕う必要はないのだ。
と、思えてきたのです。
そしてなにより、人はままならない状況に置かれたからこそ、
協力したり、支え合ったり、共有したりすることでつながりができるのではないかと思いました。
ままならないことに囲まれると、自然と人に対して思いやりが持て、助け合おう、支え合おうという精神が生まれるのではないか。
困っている人に対して他人事のように感じず、一緒になって考えることができるのではないか。
それが、便利な暮らしに慣れることで、そのつながりを持つ手段が失われ、人々は孤立させられている状態なのではないか。
不便な暮らしはそれはそれで大変だけど、だからこそ人と人が“お互い様の精神”で協力したり助け合ったりして、
人の温かみや、人とのつながりを感じることができていたのではないかと思いました。
(当然、田舎は田舎でしがらみなどはあるかとは思いますが)
加えて思うのは、
祖母や親世代のバイタリティがすごい、ということです。
当たり前の話ではありますが、物があまりない時代を生き抜いてきた人たちの生命力にはやはり圧倒されます。
当時の祖母は80を過ぎてもなおエネルギッシュで、まだ20代だった私のほうが気力体力ともに祖母よりも劣っていました。
個人的に、生命力とは
“貪欲とも言える好奇心”
“抗えないものに対するしなやかな従順さ”
“わからないことに対する想像力の豊かさ”
のようなものだと思っているのですが、
便利な世の中になるにつれ、そういった生命力がなかなか育まれないような気がします。
例えば、欲しい情報に簡単にアクセスできなかった時代に比べて、今ではわからないことはスマホですぐ調べられるようになりました。
その結果私たちは、好奇心が掻き立てられることも想像力を働かせることも少なくなりました。
そんな、知らないことわからないことに対する欲も掻き立てられず、まるでお腹が空くと感じるよりも前に常に満たされたような環境に身を置く中で、ふと、
私がひきこもっていた原因の一つには、この生命力が弱っていたこともあるのではないかと感じました。
なによりも私は今、自分よりも生命力の強い親に圧倒され、なかなか自立できないという現状があります。
30過ぎて実家暮らしで無職の状態を、親や時代のせいにしたいわけではありませんが、
便利な暮らしの中で、本来自分自身が持つ生命力をうまく発揮出来ず、なおかつそんな自分の生命力に出会う機会が減ってしまったことで、
経済力も生命力も自分より格段にある親から自立しようとすることが難しく思えてしまうこともあるのではないかと感じました。
もちろん、弱っている場合や、やむをえない事情から親に頼ることはアリだとは思うのですが、
自分以外の誰かに養われている状態では、どうしても不自由がつきまといますし、主体的に生きることができずなかなか思い通りの人生を歩めません。
なので、少しでも回復してきたり、動けそうだなと思ったら、
可能な範囲で自立する道を模索する必要があることを、まさに今その状況に身を置く自分自身が実感しています。
今回、祖母の家を訪ね不便な暮らしを一時でも体験したことで、うまくいかないことや失敗したり恥をかいたりすることも悪くないと思えました。
むしろ、それが人として普通の状態なのではないかとさえ思えてきました。
と同時に、自分には精神的にも身体的にも“体力”がないことを改めて痛感させられました。
ということで、せっかく得たこの感覚を忘れないうちに、失敗を恐れずできることから少しずつ始めていきたいと思っています。
…と思ったら、1年半勉強してきた社会福祉士の修了試験が間近でいろいろとヤバい状態でした😇
とりあえずは家にこもって猛勉強しようと思います。
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