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勉強の時間  自分を知る試み31

反理性の逆襲


ここまで自分と、自分を含む近代・現代人がどんな物の見方、考え方をしていて、それが行動や世の中にどう反映されているのかについて考えてきました。

その中で特に、近代・現代人と社会を支配している科学的・理性的・合理的な考え方が、使い方によっては素晴らしい道具になると同時に、人と社会と地球のあり方を歪めてしまいかねないということについて語ってきました。

それはこの考え方が、経済や社会の発展・繁栄をもたらすと同時に、極端な不平等や強者による弱者の支配、分断された地域や勢力による残酷な戦争を生み出してきたからです。

そして、科学的・理性的・合理的なシステムが今、地球の資源を掘り尽くしたり、自然環境を歪めたりといった危機をもたらしつつあることが見えてきました。

自分では科学的・理性的・合理的で、正当だと信じているシステムが、もっと視野を広げてみると、実は正気とは思えないことをやっていることがわかります。

しかし、こうして科学的・理性的・合理的な考え方やシステムを批判し、攻撃していると、「それだけでいいんだろうか?」という疑問が湧いてきました。

今、世界を見渡すと、この科学的・理性的・合理的なシステムの支配に抵抗し、これを破壊しようとする非理性的・不合理な考え方が、極めて危険な勢いで広がりつつあるからです。

ソ連・中国型の国家社会主義やナチスに代表されるファシズムも、イスラム原理主義による強権支配やテロも、欧米先進国の科学的・理性的・合理的な支配に対する弱者・後進地域の反抗と見ることができます。

20世紀に出現し、勢力を拡大したこれらの勢力は、欧米先進国によって抑えこまれたように見えましたが、21世紀の今、かたちを変えて勢力を伸ばしつつあります。



アメリカの反理性勢力


ウラジーミル・プーチンのロシアによる周辺地域への侵略や支配も、中国共産党が支配する中国の周辺地域支配への動きもそうですが、ある意味もっと深刻なのは、欧米先進国のリーダーであるアメリカで、科学的・理性的・合理的な考え方やシステムに対する反乱が起きていることです。

欧米先進国による科学的・理性的・合理的なシステムが、実は公平でも公正でもなく、強い者が弱い者を自由に支配できるアンフェアなシステムだということが明らかになってきて、最強国であるアメリカの中でも、不当に支配されていると感じている人たちが増えています。

アフリカ系やヒスパニック系など人種的な弱者だけでなく、人種的には支配者側だったはずの白人にも、科学的・理性的・合理的なシステムのまやかしで不当に利益や権利を奪われていると感じている人が広がった結果が、ドナルド・トランプの大統領就任でした。

これは単にトランプという素人政治家が、たまたまエリート層に不満を抱いている人たちの支持を得て大統領になってしまったということではなく、その根底には科学的・理性的・合理的なシステムが、その本質的な欠陥によって支持を失い、破綻しつつあるという危機的状況があると僕は見ています。

メディアの情報を信じない人たち、ネット上のいい加減で扇情的なデマを信じこむ人たちの意識には、科学的・理性的・合理的なシステムに対する不信や反感があるのです。

アメリカは自由の国ですから、自分たちにとって気に食わない事実には「フェイク」のレッテルを貼り、自分たちの理不尽な主張には幼稚なエセ科学的な根拠を持ち出して正当化しようとする、知的レベルの低い人たちの考え方が、「自由」の原理に守られてまかり通っています。

ロシアや中国のように、情報が国家に管理・統制されている国も困ったものですが、自由の原理によって非理性的で不合理な情報や主張が広がってしまうのも深刻な問題です。



革命? 反革命?


僕が欧米先進国の科学的・理性的・合理的な考え方やシステムを批判してきたのは、こうした感情や利害による非科学的・理性的・不合理な考え方を擁護するためではありません。

僕が言いたいのは、むしろ今まで「科学的・理性的・合理的」と信じられてきた考え方やシステムが、実は人や社会や地球に害をもたらす非理性的で不合理な支配のシステムになってしまっているということです。

こうした偽の科学的・理性的・合理的システムを、まともなものにするには、これまで見てきたように、まず対象となる人やモノや地域を囲い込み、支配しようとする仕組みを見抜き、解体する必要があります。

その第一歩が、マルクス・ガブリエルが提案しているように、絶対的な「真実」とか、ひとつの基準に統一された「世界」といった、それ自体に支配が組み込まれている仕組みから自由になることです。

人間はとかくひとつの考え方やシステムがダメだとなると、その反対の考え方やシステムに飛びつきたがるものですが、それだとダメなもののネガに支配されることになってしまいます。

フランスで王政を打倒した革命家たちが、自分たちのあいだでバトルロイヤルを初めたり、周辺諸国に戦争を仕掛けたりして、無秩序な混乱に陥り、ナポレオンの独裁を招いたように、あるいは資本主義に反対する社会主義勢力が、国家権力を握って独裁的な国家権力になってしまったように、否定から生まれたものは所詮ネガティブなものしか生みません。

今の「科学的・理性的・合理的」とされるシステムに反発する勢力は、そのネガとしての非科学的・非理性的・不合理な考え方やシステムを生み出し、今よりもっとひどい混乱をもたらすでしょう。

歴史上「革命」と呼ばれた現象の多くが、そうしたひどい状況をもたらしました。

歴史から少しでも何かを学んだ者としては、少なくともこうしたかっこ付きの「革命」とか「科学」といった概念に惑わされることなく、一つの視点から自分の考え方を絶対視することもなく、いろんな角度から見たり考えたりしながら、少しでもましな考え方に到達していきたいものです。



締めのご挨拶


この「自分を知る試み」は今回でひとまず終わりですが、人として生きているかぎり、考えることは続くでしょうし、自分が何者で、どんな考え方をしているのかという反省や検証はこれからも常に必要でしょう。

その意味で、「自分を知る試み」は終わらないと思いますが、これからは人類とか世界みたいな大きすぎる括りではなく、アメリカとか日本とか、商業とルネサンスとか、もっと具体的なテーマで勉強していこうと考えています。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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