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三千世界への旅/アメリカ9

独立戦争までのアメリカ

17世紀から19世紀にかけての、11のネーションの誕生と展開をざっと見渡したところで、今度はもう一度18世紀に戻ってアメリカという国の誕生を見てみたいと思います。

独立革命が起きたとき、アメリカには東海岸からアパラチア山脈にかけての地域に13の植民地がありました。ネーションで言うと、清教徒のヤンキーダム、クエーカーとヨーロッパ大陸系新教徒のミッドランド、イングランド地主のタイドウォーター、西インド諸島から来たイギリス系プランテーションのディープサウスの四つです。

もっと南にはエル・ノルテつまりスペイン人の土地がありましたし、ミシシッピ川流域にはフランス人が入り込んでいましたが、エル・ノルテはスペイン領ですし、それまでフランス領だったところも、フレンチ・インディアン戦争の後スペイン領になっていて、イギリスからの独立戦争に関わることはありませんでした。

東海岸13の植民地には、統治のスタイルには大きく分けて領主/総督が統治していた植民地と、植民地開拓会社などによって設立され、住民が自治を行なっていた植民地がありました。


元々バラバラだったアメリカ


ヤンキーダムの起源であり拠点となった北部のマサチューセッツやそこから分かれたニューハンプシャー、少し南に位置するロードアイランド、コネティカット、南部のバージニアは自治植民地です。

これに対して、北部でもニューヨークは公益拠点として設立され、発展していたマンハッタン島を、イギリスがオランダから奪うことで獲得された植民地で、イギリス国王から総督に任命されたヨーク公が統治していました。

ペンシルベニアはリベラルな風土を持っていましたが、クエーカーのリーダーであるウイリアム・ペンによって設立され、ペン家によって代々統治される領主植民地でした。ペンシルベニアから分離独立したデラウェアもそうです。

後にワシントンDCが置かれるメリーランド州もボルティモア卿によって設立され、統治される領主植民地でした。南部の南北カロライナはクラレンドン卿ほか8名の貴族が設立し、統治する領主植民地、ジョージアはオーグルソープによって設立された領主植民地でした。


領主の統治と自治 


このうち、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、ニュージャージー、ニューヨーク、ペンシルベニア、ノースカロライナ、サウスカロライナには立法府である議会がありました。

ニューヨーク、ペンシルベニアや南北カロライナは領主植民地ですから、自治植民地だから進歩的で、議会があったというわけではなく、領主植民地は貴族が好き勝手に支配できる封建的な土地だったわけでもないようです。

本国イギリスが16世紀の清教徒革命とその後の内乱、17世紀の名誉革命を経て、国王が議会と協力しながら統治する制度になっていましたから、植民地でも議会があって不思議はないということでしょうか。

アメリカの植民地は、領主が統治していようと、議会が統治していようと、それを構成しているのは、イギリスやヨーロッパの古いしがらみから自由になるためにアメリカにやってきた人たちですから、自分の権利を意識し主張する人たちだったと言えるでしょう。


植民地の軍隊


もうひとつ重要なのは、植民地がそれぞれ軍隊を持っていたことです。この軍隊は元々先住民や他の植民地との争いから身を守るために自然発生的に生まれた自警団が発展したもののようです。

新大陸に移り住んで土地を開拓していくためには、一人一人、家族ごとに武器を持って自分を守り、先住民や他の植民地と争いがあれば徹底して自己主張するために、武装する必要がありました。

本国イギリスの政府は核植民地に軍隊や警察、行政府を置いて統治していたわけではなく、入植者たちが自分たちで秩序を維持しなければなりませんでしたし、そうした自由こそ彼らが求めていたものだったでしょう。

今でもアメリカには州兵・民兵や存在しますが、これもこうしたアメリカの開拓や独立の歴史から生まれた組織です。


州兵と民兵


日本みたいに小さな国では、軍というと国家の軍と考える傾向がありますが、アメリカは50の州/ステートが国であり、合衆国はその連合体ですから、州の軍と連合国軍があってもおかしくないわけです。

アメリカのニュースを見ていると、連合国軍が海外での戦争に派遣されるのに対して、黒人の暴動や黒人と人種差別主義者の衝突などの騒乱の鎮圧や、災害救助などには州兵/ナショナル・ガードが派遣されるようですが、ウィキペディアの「州兵」によると、州兵の組織は連合国軍の下部組織と位置付けられていて、海外にも派遣されることがあるようです。

民兵/ミリシアは元々植民地の住民が自主的に組織した軍隊で、独立戦争を経て一部が州兵/ナショナル・ガードになっていきましたが、市民の軍としての民兵も残っていて、たしかドナルド・トランプが黒人暴動を鎮圧しようとしたときに、民兵が動員されたといった報道がありました。


自由と独立のための武装


アメリカ東海岸13植民地の住民は、18世紀半ばイギリスとフランスが内陸部の領有をめぐって戦ったフレンチ・インディアン戦争に参戦することで、自分たちが自分の植民地を守るのだという意識をより強く持つようになったといいます。

本国イギリスがこの戦争のために、印紙税や砂糖税をアメリカ植民地にかけようとしたとき、彼らは断固としてこれを拒否し、本国に撤回させました。イギリスが軍隊で彼らを制圧しようとしたときも、自力でこれを撃退しました。

こうした対立と衝突がやがて18世紀末の独立戦争に発展していくわけですが、この戦争を戦ったのは、武装した住民による民兵です。

フレンチ・インディアン戦争で活躍したジョージ・ワシントン将軍の下に各植民地から集まった民兵が、やがて合衆国軍になるわけですが、それは1776年の独立宣言のときではなく、1792年の合衆国誕生のときでもなく、初代大統領ワシントンの政権下で、徐々にかたちを成していったようです。


連合国と州・市民


連合国軍の設置に際しては、合衆国の中央集権的な支配を嫌う各州から反発があったといいます。州に植民地時代からの自主・独立をどれだけ認めるかは、初期のアメリカ合衆国にとって最大のもめごとの種でした。

この対立を抗争に発展させないために、合衆国政府は州政府や市民に色々な譲歩をしました。そのひとつが州兵・民兵の存続であり、市民が武器を持つ権利の保証でした。

最近ではアメリカで1日2件くらいのペースで銃乱射事件が起きていて、銃規制を求める声が大きくなっていますが、議会も政府もなかなか思い切った規制ができないのは、銃のメーカーの団体が力を持っているからという以前に、アメリカ合衆国憲法に国民が武器を持つ権利が明記されているからです。


アイデンティティとしての武力


国民一人一人が武器を持ち、必要とあれば銃をぶっ放して自分の権利を守るのは、植民を開始したときからアメリカの基本中の基本でしたし、独立革命を経て合衆国を建国できたのも武力で自治を守ったからです。

建国後の1791年に、この銃を保持する権利に関する憲法修正第二条は追加されました。それは連邦の力が強くなって国民の権利を侵害しようとするのを防ぐために追加された条項でした。

アメリカは法治国家ですが、その根底には常に武力があります。それは一人一人が所有する銃から核兵器にいたるまで一貫しています。誰にも負けない武力がなければどれだけ正論を吐いても無駄だというのがアメリカの基本的なポリシーです。地球上のすべての国が、この点に関しては似たようなものなのかもしれませんが。

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