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三千世界への旅 魔術/創造/変革55  ハイデガーとナチスとハンナ・アレント2

アレントのハイデガー批判


アレントは表立ったハイデガー擁護はしませんでしたし、公にハイデガー批判をしています。「著名なユダヤ系文化人」、リベラルな思想家としての立場があるからでしょうか。

再会のかなり前、第二次世界大戦直後の1946年に発表した論文『実存哲学とは何か』で彼女は「ハイデガーが1933年に、極めてセンセーショナルな仕方でナチスに入党した」、「ハイデガーはフライブルク大学総長という地位を用いて、彼の師にして友人でもあり、また講座の前任者であるフッサールにたいして、彼がユダヤ人であるという理由から、大学教員の一員として校内に入るのを禁じた」と断罪しています。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.377〜378)

ヤスパースへの手紙でも、ハイデガーが総長としてフッサールの構内立ち入りを禁じる書簡に署名したことについて、「ハイデガーはこの文書に自分が署名せざるをえなくなったその時点で、辞職すべきだったと、わたしはずっと思っていました。いくら世間知らずと言われる人でも、それくらいのことは理解できたはずです。その限りでは彼の責任を問うことはできるのです」「この書簡とこの署名が[フッサール]をほとんど死に追いやるところだったと知っているからには、ハイデガーを潜在的な殺人者とみなさざるをえないのです」と書いています。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.378)


愛の嵐?


しかしその後1960年に、彼女の代表作のひとつ『人間の条件』が出版されたとき、アレントはハイデガーにこんな手紙を送っています。

「お気づきになるでしょうが、この本には献辞がありません。もしもわたしたちのあいだが尋常であったら(中略)あなたに献呈していいかどうか、お尋ねしたことでしょう。これは最初のフライブルグの日々から直接に生まれた本で、あらゆる点でほとんどすべてをあなたに負うているのですから」(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.390〜391)

元ナチ党員のドイツ人哲学者と、アメリカに逃れてスターになったユダヤ系思想家という極端な立場の違いを考えると、この手紙はなんだかスキャンダラスな印象を与えます。

僕はシャーロット・ランプリングとダーク・ボガード主演の映画『愛の嵐』を思い出しました。元ナチス将校と、戦時中彼に性的に支配されていたユダヤ人少女が、第二次世界大戦後に再会して、屈折した愛情が燃え上がるというストーリーの映画です。

表向きはハイデガーを批判しながら、私的には彼におもねるような態度を見せるアレントの矛盾した態度も、屈折した愛の産物だったんじないかと思えてきます。

しかし、中山元はアレントの言葉をもっと純粋に哲学的な観点から解釈しています。実際のところ、アレントはハイデガーから大きな影響を受けていて、それは彼女の考え方の基盤になっているので、彼女の著作もハイデガーの功績の上に築かれていると彼は考えているようです。


ハイデガーの四つの影響


中山は、アレントがハイデガーの思想から受けた影響は、大きく分けて四つあったと言います。

まず一つは「ハイデガーの現存在とその被投性という概念は、伝統的なデカルトの主体の概念を否定するものであり、世界という状況の中におかれた人間の現象学的な読解を促すもの」で、アレントの主要な手法もこの「ハイデガーの現象学的な分析を軸と」していること。

二つ目は「このような世界の状況のうちに投げ込まれた人間のありかたの分析のうちから、人間の自由の概念が新たに構築され、伝統的な意志の自由とは異なる自由の概念を、展開できるように」なり、これが「アレントにとっては、政治哲学を構築する上で重要な役割をはたすものとなった」こと。

三つ目は「ハイデガーが展開した形而上学上の脱構築の手法を、アレントもまたブラトン以来の西洋の哲学の根本的な批判として実行したこと」。

四つ目は、ハイデガーが示していた「技術論や現代社会論などの時代の批判に、するどい感度を」アレントも引き継いで、『人間の条件』の中で大衆社会批判、消費社会批判、技術批判などを展開していること。

つまり、アレントにとってハイデガーは、ナチスに加担したことは非難すべきではあるけど、哲学で成し遂げたものは大きく、彼女はそれを自分の著作で活用せざるをえなかったということです。


ハイデガーの魔術ふたたび


そもそもアレントが学生時代にハイデガーと出会い、その思想に強く影響されると同時に恋に落ちたとき、そこにはどんな魔法がはたらいたのでしょうか?

『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』によると、20世紀の初頭、ハイデガーはアレントだけでなく、多くの若者を圧倒的に惹きつけていたようです。

同時代の哲学史家カール・レーヴィットによると、「わりわれはハイデガーに〈メスキルヒェの魔術師〉というニックネームをつけた。‥‥‥彼の講義のテクニックは、思想の大伽藍をつくりあげたかと思うと、つぎにはみずからそれを取りこわし、魔法にかかった聴衆にひとつの謎を与え、つぎには彼らを手ぶらのままに残すというところにあった」とのことです。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.368)

アレントはこうした学生たちの1人だったのでしょう。言い寄ったのはハイデガーからだったようですが、彼が既婚者であると知っていながら、魔術にかかっていた女子大生のアレントはそれを受け入れました。

興味深いのはその頃のハイデガーがまだ彼の名声を確立するような作品を何も発表していなかったことです。後年彼女は当時のハイデガーの名声について、「ハイデガーの場合には、名声の土台たりうる作品というものはまだ何一つなかったのです。手から手へと渡っていった講義筆記録を別とすれば、著作はなにもなかった。しかも講義は一般によく知られたテクストを扱っていたわけでも、聴いた者が語り伝えうるような教義を含んでいたわけでもありません。あったのは一つの名前ばかり、しかしその名前が、あたかも世間の目から隠された王の噂のように、ドイツ中を駆けめぐったのです」と語っています。(『ハンナ・アレント〈世界への愛〉』P.369)

若い女性として当時のハイデガーの魔法にかかり、彼を愛してしまったことについて、後々腹立たしい思いをしていたのかなと思わせるような発言です。


哲学と人間の関わり


僕はこれまで何度か語ってきた通り、哲学そのものを探究したいわけではないのですが、ここでけっこうしつこく哲学的なことに立ち入っているのは、現実世界の政治や社会、人間に関わるあらゆることは、哲学つまり考え方の検証と無関係ではありえないと思うからです。

哲学書自体は難解で、ほとんどの人には理解しにくいし、理解したところで我々の人生に直接関係があるわけでもないのですが、人間が何かを考えたり評価したり否定したり言い争ったりするとき、あるいは民族的・社会的・国家的な紛争が起きたりするとき、そこにはものの見方や考え方の定義が必要なのにされていないことで、検討や話し合いができなくなっていることが少なからずあります。

対立する勢力が、自分たちと相手の考え方の違いを整理せず、最初から自分たちを理論的に正しい、相手を理論的に間違っていると決めつけて、主張を繰り返すので、何の話し合いも生まれないのです。

ナチスの支配とかユダヤ人迫害・虐殺とか第二次世界大戦といったことが絡んでくるハイデガーとアレントほど、哲学・哲学者が直接的にそうした政治的な問題と関わり、そこに作用した価値観や思考の魔術がむき出しになったケースは珍しいので、哲学についても多少しつこく語る価値はあると思うのです。

ここではとりあえずハイデガーの考え方と、彼が与したナチスの考え方について批判的に検討していますが、だからといって僕は、これと対立する勢力、つまりイギリスやアメリカの資本主義、自由主義が正義だと認めているわけではありません。

僕が今書いているこの『魔術・創造・変革』は、こうした勢力の基盤にある科学的・理性的・合理的な考え方について、批判的に考えることがテーマになっていて、すでにここまでこちらの批判はある程度できていると考えていますが、ハイデガーとナチスについて一通り考えた時点で、またもう一度資本主義、自由主義についての批判に戻るつもりです。


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