意見を貫くのは難しい。

お尋ねしたいのですが、勇気は嫌われるために使うものでしょうか。
これは私の「意見」ですが、勇気は本当にやりたいことが見つかってそのために使うものだって思います。
嫌われるのは、そのやりたいことをやって結果的に嫌われるものだと思いますから。


こう書いていると勇気を出すのは嫌われる覚悟がいるように思うけれど、勇気を持っていることを隠しているだけで誰だって勇気は持っているんだ、って私は思うのです。

本当は誰だって勇敢なはずなのに、恋愛と同じように勇敢であるのを隠している。
(そもそも恋愛が最初に使う勇気かもしれない。告白して振られてしまうのは怖いことなのだから…)

…ちょっと仏文学みたいなことを書いてしまいました。今のは忘れてください笑

ここでは「意見を言う勇気」という勇気について私なりに考えてみました。
それこそ、嫌われる勇気がいることですから。

意見を言う、そしてそれを貫くのは、容易いことじゃないからそれを成し遂げる人をみると私はすごいなぁって思います。

だって、それこそ誰かを傷つける覚悟を持って傷付けた結果嫌われることを恐れないようにしているようにみえるから。

たとえ、それが自分自身にとって大切な人…たとえば家族だったり親しき友だったとしても。

大切な人にさえも嫌われてもいい、って覚悟を体現しているようだから。

たとえ、大切な人が貴方を思いやって意見を言ったとしても自分自身の意見を正しいって信じているあいだはその人の意見にも耳を傾けられなくなるから。

どの意見も間違ってなんかいない、ただ、私の意見とは"違っている"だけだって、わからなくなるから。

うーん。自分でも、だんだん何が言いたいのかわからなくなってきました。
どうも、意見をきちんと伝えるのは難しいですね。
いや、それ以前に私は考えすぎちゃうんですね、この意見を言ったあとのこととか感情的になり過ぎていないか、とか。
もし、この意見で気分を悪くさせたら申し訳ない。
おそらく、意見を伝える難しさは無意識に正しさを押し付けられているように感じる人が多いからかもしれないですね。そして、自分の意見を正しいって信じているうちは人の意見にも耳を傾けられなくなるから意見を貫くというのは日本社会では好まれないのでしょうね。

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