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わたしのリズム、あなたのリズム、心地のいい音楽

不安という名前をした、細い橋の上をえんえんと歩いていた26歳の頃、青山ブックセンターで出会った小説家は「抽選に当たったから、君はこの港町まで来てください」と言って、"当選"と手書きした紙切れをわたしに渡した。

薄暗い森の中でずっと細い雨が降っているような空気の中にいたので、記憶の視界が霧に立ち込めていてほとんど覚えていないのだが、きっかけはそんなようなことだった気がする。

言われるがままに港町へ向かったその日、バス停に降り立ったわたしの顔は傘の下、輪郭がぼやけてどこかに消えていってしまいそうなほど儚かったそうだ。
今でこそ若い人たちが移住をして小さな商店を開き、賑やかになりつつあるその港町だけれど、雨が降るとこの世の終わりのように薄暗くなるので、わたしの輪郭があやふやだったのはそのせいではないかとも思う。

船宿だったという小説家の家は、2階奥が不思議な形で廊下が途切れているが、元は廊下の先は遊郭になっていたそうだ。船員たちは長い船旅から帰ってくると2階を寝所にし、廊下を渡って遊郭で戯れた。船から降りたら錨をおろすように男たちは遊郭へ行き、また海へと向かう。

なるほど理にかなっていますね、と表情を変えずに言ったわたしに、一瞬目を丸くしてから小説家は、せやなあと声だけで笑った。
いつのまにか雨があがって、2階の窓から綺麗な満月が見えた。

幼い頃から好きだった本の世界に、小説家はさらなる厚みを与えた。一見何もないガランとしたその木造の家屋の中から一体どこから出てくるのか、果てしない数の本を畳の上に開くことができた。

わたしは時々電車を乗りついでその港町へ向かっては、それぞれで、時にはふたりで声に出して読みながら、本の世界に没頭した。
あいまに魚屋で魚の煮付けやあん肝なんかを食べて腹を満たし、また家に戻って本をバサバサと開く。
西脇順三郎の、ウンベルト・サバの、高野文子の、物語の中に自分の身体ごと、丸ごと潜り込んで、深い深い海の奥底で潜水をするような読書の時間。

永久に出てくると信じていた船宿の本に終わりが見えた頃、小説家が
「毎日、なんでもいいから文字をノートに書いてみたらどう。気づいたこと、目に入って心に残った文字。短くても、長くても、なんでもいいから」と言った。
小さな声で「書くことを約束する」と返した。

あの時間がいつ頃途切れたのか、それすらも霧の中でしっかりと覚えていないのだけれど、気がついたらまたひとりで橋の上を歩いていた。
道、道、道、続くその橋の上に書かれている不安の文字が揺らいでいる。薄れつつあったのだと気づいたのは随分時間が経ってからのこと。

「毎日文字を書く」というその約束をわたしは14年も守った。
どんなにくたびれた日でも、誰かとの旅行の最中でも、恋人とのデートの帰りでも、大晦日でも、お正月でも、何かしらノートに、iphoneに書き留める短い時間を守った。

一度も振り返っていない、書き留めてきたその文字がわたしの胸の中で膨らんで文章になっていく。その文章をまたノートに書いて、と繰り返すうち、書く時間が長くなり、わたしはわたしの物語の中を泳いでは出て吐き、泳いでは出て吐き、"物語る"ことを覚えた。

これはわたし個人の、この14年間の治癒の話。


この間に、アーユルヴェーダと巡り合い料理を通じて、また時には1対1で対面してお客さまと対話する機会を得た。

2人と同じ人はいないように、どんな人も皆違い、皆その身体の中に物語の断片を持っている。過去の忘れられないこと、今を生きるつらさ、まだ見ぬ未来への期待。
その断片を丹念につなぎ、物語にし、物語ることは一つの治療薬になるとこの14年間の経験から思う。

どの人の人生にもそれぞれのリズムがある。人と人が出逢うとその個性豊かなリズムが気持ちよく重なり合って良い音楽になることもあれば、不協和音になることもある。
できるだけこの世界で豊かな音楽を鳴らすなら、 みんなが変化していく自分を肯定的に受け止め、みんながそれぞれに生を全うする。まず心地の良い個人の波があり、それが心地のいい社会の波を作る。

そのリズムを知るために"物語る"ことがある。
カウンセリングでは冒頭の30分で、まずお客さまに相談したいことをつらつらと話してもらってきたが、その30分でカウンセリングはすでに終了しているようなものである。
物語ること、それ自体が尊い。

時間とは、川の流れのように前に前に進むものばかりでもない。
海のように寄せては引き、寄せては引き、元はいつも同じ大地の上でぐるぐると回っている輪のようなものである。

物語ること。
断片をつなぐ地道な作業の先に、あの頃の点と今の点が繋がると時間は線から輪となり、その輪となった時点で人はまた一つ治癒を経験する。どんな人も自らを癒し、必ず幸せになる権利がある。

足元を見て、そこが幸いなことに不安と書かれた橋の上でなくても、どんな人の中にも物語の断片は転がっている。まずは自分の手のひらの上でその断片を転がして、引っ張ったり、縮めたりしながら遊んでみてほしい。
つなげ方が見えたら短い文章にして、
声に出して誰かに話してもいいし、お風呂の中で歌ってもいい。

物語ること、それ自体が尊いと感謝して。

サポートしていただいた分は、古典医療の学びを深め、日本の生産者が作る食材の購入に充て、そこから得た学びをこのnoteで還元させていただきます^^