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年の瀬に北海道の旅に出たら、太平洋側で、普段あまり雪が降らないこのまちに大雪が降っていた。

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雪にすっぽりと囲まれるとあんまり寒くない。
犬ころのようになって、友達と遊んだ。

雪国の人の前で言うのは憚られるけれど、わたしが一番好きな天気は雪の日だ。真っ白な雪があらゆる雑音を吸収して、世の中がとても静かになる。

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12年前の秋田の横手祭で、ホワイトアウトして恋人が真っ白な風景の向こう側に行ったとき。いつだったか忘れたけれど正月に、世田谷の祖父の家からパン屋に行こうとして駅から歩いていたら、細雪があっという間に豪雪になり、帰り道がなくなったとき。

わたしは「今、心底、安心している」と思ったのだった。心細くてたまらないはずなのに。いつもいつも、世の中に雑音が多いせいだ。
それに、圧倒的に普段の安全地帯から抜け出せたことを知ると、かえって安心を得ることもある。何も知らないのなら、そこはゼロ地点。

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旅をすることが少しずつ増えた一年だった。
3月には京都へ、6月には群馬へ、9月には新潟へ。
その間にキャンプもたくさんした。旅先ではそっとマスクを外して、朝や昼や夜の空の下で友だちと大きな声で笑ったことばかり覚えている。

人は自分の安全領域から飛び出すために、旅をする。
朝起きたら白湯を沸かすヤカンがないとか、寝るときの枕の高さが違うとか、そんなささやかな変化でもいい。

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車が雪にはまってみんなで押してみたり、

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触れたら自分の身体を貫きそうなつららに手を伸ばすこと、

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小さな象くらい大きな馬のそばに寄って、その優しい瞳に自分の眼を合わせて、言葉にならない言葉で会話をすること。鼻頭や耳のそばを撫でててみて「気持ちいい?」と尋ねてみる。

変化したいと願うのではなく、変化に身をおいてはじめて気づくもの、得るものがある。

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わたしの仕事は、人間の変化に携わる仕事だ。太る前の体型に戻りたい、アトピーを治したい、耳鳴りを改善したい、といったネガティブなものを良い方向へ変えるものから、子どもを産みたい、自分に本当に合った仕事をしたい、といったまだ体験したことがないことへの希望を聞くこともある。

このような変化への要望をサポートするのがわたしの仕事だ。料理を作って、その人の話を聴いて、時にはお題をもらって自分から話をする。

世の中の多くの人が変化を求めている。
自分の性格や生き方に、本来もっと合っているものがあるはずだと思いがちだ。あるいは、近しい人の行動を変えたいと思うこともある。

ところが、これはとても難しいことで、そんな風に思うようになるのだったら誰もが立派で偉い人ばかりの世の中になるかもしれない。

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変化をする、それだけでなく、変化を遂げた状態を維持することもまた難しい。人は大きな変化を遂げたと思ったら、その反動でもう一度180度逆の方向へと変化をすることがある。つまり半周まわって同じ場所。

アルコール依存症の人がアルコールをやめることができた。と思って周りが安心していたら、もう一度飲み始めてしまった。過食嘔吐に悩む人が過食を止めることができ、身体が楽そうにしていると思ったら、またお菓子を買い込んでいる姿を友達が発見してしまう。

こうした変化の変化で、声を大にして批判するのは本人ではなく周りの人だったりする。人は自分の変化よりも、他人の変化を求めるものだし、思い通りにならないと憤りを感じるのは自分よりも他人のことなのだ。

もしも周りがわあわあ言わずに、それでも一度は変化を遂げたのだからと、優しく微笑むことができたら、当の本人はそれほど焦らずに済む。

二度と見たくなかったアルコールを手にし、買うことすらやめていたお菓子を持った時、ささやかな絶望がありつつも、以前にいたA地点よりは少しだけ前進したB地点にいることに気づくことができる。

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180度行って、また戻っても0度から2度くらい先に行ったところ、いったりきたり、3歩進んで2歩下がる、微細な変化を地道に重ねて人は本来の変化へと向かっていく。

わたしは人が変化したいと希望を話すとき、いつもそのことを胸に刻んで、話を聞くようにしている。この人が成し遂げる変化が、180度先へ行って、またこちらへ戻ってきてしまったとしても、そこにはたしかに微細な前進があること。それを手を叩いて喜べるように話を聴く。

戻ってきた小さな前進の地点で、大きく足を踏んで、もう一度一周したら、360度まわってほんとはここが自分の居場所。と笑ってくれる人が少しでも多くなるように。

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2年続けて参加してくれた料理教室の最終日に、生徒さんが「つまづいたとき、素の自分にすっと戻ることができるすべを知った」と話してくれた。
これを聞いた時、私たちは、この2年旅を一緒にしてきたと思った。

遠くとおくへと旅をしてきて、元の地点に戻ってきた。あっけないようだけれど、元の地点と元の自分は違う。

これから協奏曲に参加するチェロの奏者のように、舞台袖で踊るために備えるダンサーのように、自分の身体を調律する術を知ったのだ。

また音が外れる日が来たらみんなは今度、自分一人で旅に出る。雪の中で音を失って、また聴こえる喜びに胸が震える。

それが旅が薬になるということ。
旅の効用はこちらの通り。


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