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アメリカADAツアー⑳

2015年8月4日記録報告
午前中、Mayor's Office(市役所庁舎)へ。
市役所の中に、MOPD(Mayor's Office For Persons with Disabilities)っていう、障害者の課題を扱う部署があります。
日本のように、サービス支給決定をしたりするわけではなく、
相談窓口と、教育機関としての部署という感じ。
市庁舎の職員だけでなく、
連邦政府の職員にも障害者への対応や
ADAの規定を研修したり、
市民への啓発活動を行ったり、
障害者の市民から何かトラブルや苦情が寄せられたときに、
その間に入って仲裁&救済したり。
一生懸命取り組んでいるのは、
制度の仕組み整備だけではなく、人々の意識改善だと。
もっとも大きなバリアは、人の意識の中にあるから、と。
その取り組みのひとつとして、障害者の呼び方を改めよう、
というものがあると。
今でも使われがちなのは、
「ハンディキャップ」という呼び方。
これは、昔、フランスで、傷痍軍人が街の中で
帽子(キャップ)を片手に街の中で物乞いをしていたこと
からきている単語だそう(Hand in Cap)。
だから、ハンディキャップという単語には、
「物乞いする人」という意味合いがあるそうです。
知らなかった。
なので、これからは、
「障害」という単語を最初に持ってくるのではなく、
「人」という単語を最初に持って来たうえで、
その後ろに、「こういう不便なところあるよ」と
付け足しましょう、となって、
Persons with hearing disabilityとか
Persons with sight Disabilityとか、
Persons using a wheelchairになったんだとか。
People Firstと同じ原理だね。
たかが言葉、されど言葉。
言葉には魂が宿っている。
言葉から発信されるものは大きい。
大切なことだなぁ。
しばらくお話を伺った後、議場を見せてもらいました。
その議場では、毎月イリノイ州の50の地区から代表が集まって、
いろんな議題について議論されるんだって。
どわーっと議場には入ったADAツアーメンバー、
議長席、副議長席、及び、
前方の偉い人たちが座るのであろう席に陣取って、
記念撮影。
………っていうか、議長席に上がるには階段が3段!
これは……車いすの人は議長になっちゃいかんということですか!?
「いや、車いすの人が議長になったら、
もちろんすぐにスロープをつけますよ!笑」
あぁ、良かった…。
そんなこんなでMayor's Office研修は終了。
午後は解散、各自自由行動。
私は、前日一緒にスペイン料理店に行ったメンバーと
シカゴのダウンタウンをプラプラすることに。
まずはお昼。
しばらく歩いたところに、フードカーがたくさん停まっていて、
自由に軽食をチョイス。
イタリアン、メキシカン、インディア、アメリカン…。
何これ、楽しい。
でも、何屋さんかとか、メニューとか、よく分からない…。
ぐるぐると見て回り、最終的にターキーサンドイッチに決定。
路上から、フードカーの中のお姉さんに叫んで注文。
「名前は?」
Hiromi!
オーダーしたものが準備できると名前を呼ばれるのだが、
行列の人たち、どんどん呼ばれてサンドイッチを受け取っていく。
しばらくして、
「Huromoi!?」
多分私のことだよね、それ…。
一回でちゃんと呼ばれたためしがないんだよ、
わたしの名前は…。
ターキーサンドイッチはめちゃめちゃ美味しかったです。
なぜかラズベリーソースが入ってたけど、
ばっちり美味しい!
アメリカ、ターキー美味しいなぁー。
ただ、ターキー入れすぎで、顎が外れるかと思ったけど(笑
その後、市内バスに乗って、ミレニアムパークへ。
車いす用のリフト、どんなかなぁ?
と思って見てみると、
ドライバーが運転席に座ったままで、スイッチオン。
すると、車体がニールダウンした後、
入口の床がパタンと外に開いて、
すーっと入っていけるように。
これ、ドライバーも降りる必要ないし、
めっちゃ簡単で安全で、いいじゃん!
日本も、こういうのだったらいいのに!
バス下車後、美味しいと評判らしいカフェに寄ったり、
カルチャーセンターに寄ったりしつつ、プラプラ。
すごいなぁと思うのは、
カフェでも、銀行でも、本屋でも、コスメショップでも、
必ず入口のドアに、車いすの人が押せる
自動ドア用のボタンが付いていること。
これもADAの影響なのかな?
ミレニアムパーク到着。
ここにも、ADA25周年のポスターが貼ってある。
広場にあるいろんなモニュメントや、
屋外劇場、水遊び場でわいわい遊ぶ。
シカゴのダウンタウンをずっと案内してくれたサンディと、
ちょっと話をしていて、印象に残ったことが。
「私は台湾人だけど、台湾に帰ってアメリカと一番違うな、
と思うことは、台湾の人って、あなたの障害はなんなの?
ってすぐに聞くの。
私は、生まれつき、手の指と足の指が2本ずつしかないでしょ。
これは遺伝性の障害で、父親は6人兄弟だけど、
そのうち4人が同じ障害なの。
私はその遺伝子をたまたま引き継いだんだけど、
それを知ったからって、私の何を知ったというの?
って思うのよね。
アメリカでは、障害名を聞かれることなんて、
あんまり経験がないわ。
私は、大学院の研究で、アートセラピーをやっているでしょ?
で、障害のあるたくさんの人と関わっているけど、
その人たちの障害がなんなのか、知らない人もたくさんいるわ。
関係性を築いたら、自分から伝えてくれる人もいるけど、
私から聞くことなんてないし、聞く必要性を感じたことなんてないもの。
必要なのは、その人がどんな人なのかを知ること、
どんなニーズを持っているかを知ること。
そうでしょ?」
うんうん、その通り。
なぜか、会ってすぐの自己紹介の中で、障害名まで名乗り合って、
同じ障害だっただけで仲間意識を持ちたくなる。
でも、同じ障害だからと言って価値観が一緒なわけでも、
生活様式が同じなわけでもないのに、なぜか、安心したがる。
そういう傾向って、あるよねー。
サンディは、2本のすらっと綺麗な指で、
なんでも器用にこなす。
その優雅さに、ちょっと、見とれちゃうくらい。
私は5本も指があるのに、ほとんどうまく動かせない。
大切なのは、指の数じゃないよね。
ちょっとショッピングの後、
シカゴで有名なピザを食べに!
ナイフとフォークを使って食べる、肉厚のジューシーなピザ!
観光で、あっち向いたりこっち向いたりしすぎて
首の筋力が限界にきていた私は、嚥下力も急激ダウン!
で、あんまりたくさんは食べられなかったけど、
美味しかったー!
最後にシカゴの夜景を見せてあげる、と、
バスに乗って移動することに。
バスが来て、いざ乗ろうとしたら、
「ダメダメ、車いすは一度に2人までしか乗せられないよ。」
とドライバー。
うそーん。
だって、次のバスを待っていたら、遅くなっちゃう…。
よし、交渉開始。
ねぇ、いいじゃん、十分乗るスペースあるんだからさぁ。
「ダメだよ、決まりなんだ、悪いけどさ」
じゃあさ、乗ったら、車いすから降りて座席に移るっていうのはどう?
それで、車いすはたたむから。
「えぇ?」
いいよね?そしたら車いすを3台乗せてることにはならないもん。
「うーん…」
ほらほら、まずはやってみようよ。
大丈夫だからさ。
と、ぐいぐい乗り込む。
そして、車いす3人乗った時点で、
ねぇ、もう、このままで良くない?
ほら、通路も確保できてるしさぁ。
問題ないでしょ?
うちらの車いす、小さいし!ほら!
と、むりやりドライバーを説得し、ミッションコンプリート。
やった。
そして、ミシガン湖の岸辺からの、
大都市シカゴの夜景を満喫。
でかい都市だなー…。
ミシガン湖っていうか、海だよね、ほぼ。
夜のお散歩も終わり、ホテルに帰ろうとするけど、
バスの時刻は終了。
サンディが、リフトタクシーを呼ぶという。
こんな夜更けに、予約もなしでリフトタクシーあるの?
ありました。
車いす3人一緒に乗りたい、と言ったら、
もう、テトリスみたいにいろいろ組み合わせを考えて、
なんとか乗り込んだ!
4〜5人乗りの車に7人!
ドライバーは、サウジアラビアの陽気なおっさん。
ちょーナンパなチャラい人で、
なぜか私はドライビングの間、
そのナンパを通訳する羽目に。
でも、こうやって、乗りたいときに
リフトタクシーに乗れるのは素晴らしい。
ドライバーがおとなしかったら、なお素晴らしかった。
シカゴ最後の夜。
美味しいピザも食べたし、夜景も綺麗で、
良い思い出になりました。

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