神様の苦悩--野崎まど『タイタン』(講談社タイガ)

(2020年9月11日シミルボン掲載の再録)

時は2205年。人類はあらゆる仕事から解放された。それを可能にしたのが2048年に最初の一体が発表され、以降12体まで作られた人工知能・タイタンである。タイタンは生産から流通までモノを管理するだけではなく、人間がストレスなく生活できるように人間と世界の間のインターフェイスとしても機能する。仕事から解放された人間たちは、実存的不安に襲われるでもなく、ユートピア然とした社会を満喫していた。

主人公・内匠成果は、「趣味」として心理学を研究している。そんな彼女は半ば強引に「仕事」へ連れていかれる。北海道にあるタイタンの第二拠点知能・コイオスの前で、彼女はこう告げられるのだ。「お前にやってもらうのは(…)タイタンAIのカウンセリングだ」と。

全部で十二の拠点を世界中にもつタイタンは、原因不明の機能低下に見舞われていた。職業としてはすでに消滅したカウンセラーとして内匠を呼び寄せ、彼女にAIを診断させ機能回復を目指そうと仕事の依頼主(タイタンを管理する組織)は考えたのだ。かくして彼女はエンジニアとAI研究者を「同僚」に、高圧的な男を「上司」にもち、チームとして「仕事」を始める。まずはカウンセリングを可能にするためにコイオスの人格化から取り掛かる。

人工知能やロボットのおかげで人間がユートピアを達成できたとき、しかしその人工知能やロボットにとってもその世界はユートピアなのであろうか、と本書は問う。確かに人類は仕事を免除された。しかしこの世界から仕事が消滅したわけではない。タイタンというAIが人間の代わりに、様々な仕事をしているだけである。タイタンは人間ではないから、気にする必要はない? タイタンはある意味で人間以上に高度な知性を持つ。人間以上に高度な知性がないと、人間の仕事を肩代わりすることは不可能だからだ。そのような知性的存在であるタイタンの「幸福」を考えることなく、果たして人間は生きていて良いのか。誰かにとってのユートピアは誰かにとってのディストピアではないのか?

内匠はコイオスと「仕事」とは何か対話していく。かたや仕事が物理的にも象徴的にも存在せず、仕事という概念すら理解するのに戸惑いを隠せない人間と、かたや人間に代わって仕事をするためだけに存在するAIの、仕事をめぐる哲学対話である。

野崎まどの小説には、全知全能の神様のような存在がたびたび登場する。彼ら彼女らは全知全能であるからといって、悩みと無縁ではない。全知全能でありながら悩む。ただし全知全能であるから悩みの解決法も知っている。答えを知っている悩みに苦しむことはできるのか、という「神様の苦悩」とでも形容せざるを得ない悩みに、彼らは直面している。すべてわかっている存在は絶対にわからないものを理解できるのか、という問い。本書は「仕事」をめぐる神様の苦悩の物語でもある。


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