人類のデバッグは可能か--ダミアン・トンプソン『すすんでダマされる人たち』(矢沢聖子訳、日経BP社) 評

ジャーナリストのダミアン・トンプソンはデマ、フェイクニュース、陰謀論をひとまとめに「カウンターナリッジ(反知識)」と呼ぶ。原著2008年、翻訳も2008年で、いまから15年以上前なので、フェイクニュースという語は使われていないが、現在の文脈であればフェイクニュース(やポストトゥルース)が入るだろう。筆者が取り上げるのは、具体的には次のようなカウンターナリッジだ。

・9・11は米国政府が仕組んだ陰謀だ。その狙いは中東で戦争を起こすことにある。
・エイズ・ウイルスはアフリカ人を根絶やしにするために CIAの研究所で開発された。
・サプリメントをたっぷり摂取すればガンを予防できるし、 エイズ治療薬より効果がある。
・キリストは生き延びて結婚し子孫がメロヴィング朝を興したが 教会はこれをひた隠しにしている。(本書より引用)

現在であれば、コロナウィルスやワクチン、アメリカならトランプが負けた大統領選なども確実に含まれるだろう。筆者の現状分析は正しくも、その対策は足りず、15年後の現実は本書が書かれた時よりも悪化しているといえる(筆者が悪いわるいわけではもちろんない)。

「すすんでダマされる人たち」というタイトルはついているが、「なぜダマされるのか」についてはどうにも説明・分析は不十分な気がする。筆者によれば、伝統的な意味を与える共同体(具体的には家庭と宗教)が解体し影響力を失った結果、人々は自分で意味を見つけなければならなくなったことが背景にある。さらに、1995-97年にアラン・ソーカルが、のちに『「知」の欺瞞』にまとめた、偽の投稿論文が引き起こしたいわゆるソーカル事件にも、筆者は言及している。ポストモダン人文知が、厳密な科学的用語を比喩的に濫用することで、科学の根本にある客観性や反証可能性をグズグズに崩してしまった、という。ほかに筆者の指摘で興味深いのは、キリスト教の文脈では手を変え品を変えでてくる創造論が、イスラム教圏でも見られ、かつイスラム教圏の人口増加がキリスト教圏よりも大きいので、創造論がどんどん存在感を増している/増すだろう、というものもある。特定の人種・国籍や特定の宗教とカウンターナリッジを短絡的に結ぶことはできないだろうが、とはいえデマが広がっていく土壌には文化・宗教・国家があるわけで、完全に切り分けることもできない。

ざっくりいえば、科学は人間に力を与えたが意味を奪った、となる。この見立ては、(このサイトではおなじみだが)ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』と同じ。カウンターナリッジへのカウンター、カウンター・カウンターナリッジとでも呼ぶべきものは、どうやれば得られるのか? 解説の大槻義彦(オカルト・超常現象を科学的に検証することで有名)は3つ、対策をあげている。専門学会を参照する、デマを言う人に根拠の提示を求める、学校教育を活用する。「なるほど! その手があったか!」とならないのが、デマが広がっていく理由だろう。大槻教授の対策はもっともだし、これをやれば「自分がデマを信じる」ことは防げるかもしれないが、自分以外のところでデマが広がっていくのを妨げることはできない。この3つの対策は、正論だが、正論ゆえに誰もかれもができるわけではない。非常にハードルの高い正論。となると、インターネットと口コミを介して広がっていくデマの「火消し」にはほど遠い。

筆者の分析と大槻の解説を合体すると、「なぜデマを信じるのか?」→「科学が意味を解体したから」→「どうやれば良いのか?」→「科学をちゃんと向き合えば良い」となる。その通りである。が、堂々巡りで、デマを打ち消す回路に入れない人は、いつまでも入れない。そして筆者がたびたび注意を促すように、デマや陰謀論は人を殺す。ヘイトクライムから、病気の治療を拒否することで多くの人の命が危険にさらされている。デマは有害なのだ。

創造論、すなわち進化論ではなく神のような超越的な存在が地球や生命を生み出したという主張は、メタな視点で見てみると、進化論的に人々の間に広がっていく。リチャード・ドーキンスは生物学的な遺伝子geneから文化的遺伝子memeを発想した(あくまで発想であり、ドーキンスは遺伝生物学者である)。文化的遺伝子ミームも、それが繁殖・伝播しやすいものと、そうでないものにわかれ、自分を増やすためにプラットフォームを活用し、人間の生物学的性質(認知バイアス)をうまく利用する。環境に最適化した生物が生き残ったように、人間とその文化をひろく「環境」と一体に考えると、この環境に最適化したミームが生き残る。デマ、フェイクニュース、陰謀論は、人間の本能的な部分に訴えかけるので、環境適応度が強いのだろう。あるいは、環境に適応した強いミームがこれらカウンターナリッジなのだろう。開き直るつもりはないが、消しても消しても消えないわけである。

ジョセフ・ヘンリック『WEIERD』によれば、ヒトの文化的学習能力は「誰から」「何を」「どんな時に」学ぶべきか、を見極めるために磨かれてきた。インフルエンサー(共同体内で評判の良い人)、生命に関わる情報を(ワクチン打つ・打たないなど)、状況が複雑なとき(インターネットに情報があふれ何を信じてい良いか判断できない)に、学びたくなる。パキっとはまってしまう。SNS上のデマを「人類のバグ」とあるジャーナリストは言っていたが、どうやればデバッグできるものなのか。


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