猫のように生きる

今日もVoicyパーソナリティーの鳥井弘文さんのお話より。

鳥井さんのお話はweb3についても、日々の気づきに対しても
有用性とか利便性を語るのではなく、矛盾していることや哲学的な観点から語るので、とても興味深い。

今日の僕の記事は、僕自身まとまってないのでなんだかよくわからない記事になりそうだ。


では、早速本題に。


自律神経を操る?

サウナに行き整うというのは最近多いと思う。
僕自身はサウナ行かないのでわからないのだが、整う感覚を味わってみたい。

しかし、「整う」というのは自律神経を落ち着かせる(整わせる)ということだが、矛盾してないだろうか?

自律神経である。
「自律神経とは」で検索すると最初に出てくる結果が
自分の意志とは関係なく自動的に働く神経

つまり「制御不能なものを意識的に制御している」と思い込んでいる。

決してサウナを批判しているのではなく、簡単に整うわけないと言いたいわけでもない。

例えば、「絶対整うための5つの方法」みたいに無理やり整わせることが矛盾しているのではないかと。

制御不能なものだからこそ「整った」、「整わなかった」があって良いというわけである。

現代社会の「ああすればこうなる」に対して

雨が降らなければ雨乞いをする、旅に出たものを無事であることを神に祈る、といった因果関係にないことをしていた時代もある。

現代で言うならばAIへのプロンプトがそうではないか?
AIに指示を出すも、思った通りの回答や画像が生成されないことも多々ある。そのために何度もプロンプトを書き直してやり直す。
まるで祈りを捧げるように。

これは非常に面白い言い回しだと思った。
まさに「ああすればこうなる」のカウンターのようだ。

自然現象に対してもやはり全ては解明できないし、予測はできても確実ではない。

全ての事象の因果を測り知ることはできないのだから、できないで良いのではないだろうか?

猫のように生きる

最近、「猫」と言うキーワードをよく目にする。
僕はNFTが好きで、日本のプロジェクトに
「Live Like A Cat」というのがある。読んで字の如く「猫のように生きる」である。
鳥井さんの紹介していた養老孟司先生の「老いてはネコに従え」も読んでみたい。

全ての事象に因果関係をつけることに労力を使うのではなく、猫のように気ままに生きられるようになりたい。


なんだか、よくわからない文章になってしまった。
鳥井弘文さんのVoicyを聞けばわかりやすいです。

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