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読書感想文【ある行旅死亡人の物語】

2022年 武田惇志、伊藤亜衣著。
共同通信大阪社会部の記者によるルポルタージュ。
ネットでちらと広告を見て気になっていた本。普段全くと言っていいほどノンフィクションの類を読まないのだが、思わず宗旨変えしたくなるほどに面白かった。

行旅死亡人(こうりょしぼうにん)とは、ざっくり言って行き倒れ、氏名や本籍地・住所が判明せず、身元不明で引き取り手のない死者を指す。
著者の武田氏は新聞社の遊軍、つまり特定のジャンルに囚われず自分の足でネタを探す記者であり、ある日ネタ探しの一環として「行旅死亡人データベース」を検索する。
目に留まったのはおよそ一年前、尼崎で孤独死した高齢(75歳位)の女性。約3,400万円ほどの所持金に加え、右手の指が全て欠損している、とのこと。

初っ端から気になる点がてんこ盛りである。
孤独死するような高齢の女性が3,400万もの大金を所持しているものか?
右手の指が全てないとは、何故か?
どうして孤独死したのか?もうその身元は判明しているのか?
武田氏もその点に興味を惹かれ、ごく軽い気持ちで調査を始める。そして思いもよらぬ真実への旅へと誘われる。

新聞記者の調査力とは如何様なものか、その手法、着眼点と熱意にページを捲る手が止まらなかった。
奇しくも数日前、『火車』(宮部みゆき著)という本を読んだのだが、まさしくその名がズバリ登場したことに驚いた。

『火車』は休職中の刑事がある正体不明の人間を様々な角度で追っていくストーリーだが、なるほど確かに休職中とは言えやはり「警察」の肩書は強いと言わざるを得ない。
記者はあくまでも記者、取材にあたってもそこには何の権限もなく、ともすれば敬遠すらされかねない。もし自分がこの話のように取材される側であれば、とりあえず警戒はするだろう。
そう考えると割とこの本ではすんなり取材出来ているようにも思うが、そこは文字に起こされていない苦労というものがあるのかもしれない。
なんにせよ、天下の警察でも本業(?)の探偵でも突き止められなかった真実に著者、記者たちが近づいていくさまは読んでいて実に面白かった。
まったくもってナンセンスだがよく出来たフィクションかとも思えるほどドラマティックであり、かなり運が良かったのだろうとも思う。読ませる文章だということもあるかも。

結局の所、問題の行旅死亡人の正体は果たして判明する。DNAレベルの判別なので、その点に疑いはない。
だがしかし彼女、『沖宗千鶴子』が何故行旅死亡人となったのか、その経緯については分からずじまいである。3,400万円もの所持金やその他の身の回りのことも、詳しいことは何も判明しない。フィクションであれば大いに創作の余地がある、というところだろう。
しかしこれは現実の話である。
一人の女性が孤独死したことも、その過去や背景が全て謎のままであることも、そしてそれら全て、いずれは消えゆくということも。

良く自分は「事実は小説より奇なり」という言葉を口にしてきたが、今までになく、この言葉を実感した。
正しくはどんなに奇であっても、事実は事実として頑然とそこに存在するのだとようやく理解した、というところだろうか。
創作と現実を天秤にのせ、互いの境界線を行き来するその危うさと面白さを肌に触れる近さで楽しんだ。この一冊はなかなかに、自分のターニングポイントとなりそうな気がする。
ともあれ久しぶりに、誰かに是非読んで欲しいとオススメしたい、単純にかつ純粋に面白い本だった。

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