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映画感想文【お葬式】

1984年 製作
監督:伊丹十三、出演:山崎努、宮本信子
過去の傑作映画を選出・上映する『午前十時の映画祭』で観てきた。
生まれる前の作品だったり、是非もう一度、と思っていたものがスクリーンで観られるのは非常に有り難い。

<あらすじ>
CM撮影中の俳優夫婦、井上侘助と雨宮千鶴子のもとに、千鶴子の父・真吉の訃報が届き、夫婦は葬儀のため真吉が暮らしていた神奈川へ向かう。
葬式を出したことのない夫婦が、戸惑いながらもあれやこれやと段取りを進めていくものの…。


俳優として名を馳せていた伊丹十三の、映画監督デビュー作。
妻である宮本信子の父の葬儀で喪主を務めた実体験を基にした作品とあって、その鋭い観察眼でとらえたリアルと、マルチタレントとしての才能が生み出すユーモアがほどよく入り交じる作品であった。

最近の葬儀は葬儀場で行われることが多い。ネットで簡単に検索してみたところ、現在自宅葬の割合は実に5%前後だという。
15年ほど前の祖母の葬儀は、既に葬儀場で行っていた。しかしその前、祖父が亡くなった25年前は自宅で葬式を行った。
映画を観て、その頃の記憶が蘇る。こんな感じだったなぁと思うことも多く、ドキュメンタリー映像のような印象を抱くほどのリアルさであった。

作中の父・真吉の死は60代とあって、その頃においてもやや早いものではあったが短命というほどではない。突然の心臓発作で倒れてからほとんど間を置かず、ということで周囲もむしろ「長く苦しまなかった」と悲壮感も薄い。
つまりは相応の寿命ということで、そういった場合の葬式というものは悲しみよりも必要に迫られて行う単なるイチ儀式、という感が強くなる気がする。
真吉の妻をはじめとする女衆が、葬儀の準備中でありながら合間に無邪気に笑いはしゃぐ様子は、経験したことがある人にとってはおおいに頷くところだろう。
またそうして久しぶりの親類縁者と親しく話しながら、ふとした瞬間、やはり襲ってくる寂しさや悲しさも、同じく。ラスト、真の喪主である妻・きく江が親戚一同に向けた締めの挨拶には、一時忙しさに紛れていた喪失感が再び色濃く蘇っている。

こうしたリアルさの中に、皮肉を込めたユーモアが散りばめられている。
通夜の飲み食いに長っ尻の男衆と、いい加減切り上げさせたい女衆のやり取り。田舎の冠婚葬祭あるあるだろう。舌打ちをしたくなった人も多いのでは。
お経をあげる住職はロールス・ロイスで乗り付ける様で、結構な道楽者だろうことを伺わせる。これまた観客は「厳粛な葬式で何言い出してんだ、おいおい」と思う。
ブラックだがいかにもありそうだと思わず笑ってしまった。

反対に笑えなかったのが、侘助の不倫相手襲来エピソードである。
伊丹十三の監督作品には性表現があるのがお決まりらしいが、これで本当に年齢制限なしか、と思うほどに過激であった。思わず脳内で「映倫ンン!」と声を上げてしまうほどに過激。
お茶の間で流れていると空気が凍ること間違いなしである。
またこのエピソードが、なんとなく宙に浮いているというかどっちつかずというか。
勿論、初めての葬式に夫婦たちが頑張って取り組む、というだけでは面白みが足りないことは分かる。それでは本当にただのドキュメンタリーになってしまうだろうから、何かしらイレギュラーな要素が必要だったのだろう、とも推測できる。しかしながら侘助の浮気、が妻・千鶴子やこの葬儀にどのような影響を及ぼしているのか、そうした描写がないので、どうにも尻すぼみでもったいない気がした。


40年近く前のリアルを切り取って巧みフィクションに昇華した秀逸な作品。かつての日常文化を知る意味でも貴重ではないだろうか。
後の名作『マルサの女』に続く才能の第一歩だと思うと、実に興味深い。

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