見出し画像

弱者男性とされている人たちへ。


弱者男性についてのニュースを見ました。


僕は、弱者男性というレッテル自体あまり好きではないし、


愛を学ぶプロとして、


当該揶揄されるような人たちが弱者を脱却できないとは思ってません。


今回は、僕が持っている考えが、


そのように弱者呼ばわりされている人たち、


もちろんそれ以外のたくさんの人たちにも役に立つと信じているので、



一つ記事にしてみました。



これが、誰かの力になれたら嬉しいです。





弱者男性の定義




今回話そうと思うのは、言語能力は高いけどお金を稼ぐ能力が低い人とか、


障害や環境によって現代社会からはじかれてしまっている、


フェミニズムの文脈で扱う社会構造上の弱者男性のことではなくて、


競争に勝てない/競争を嫌う人


という、広義の弱者男性についてです。


その根幹と、脱却方法について、愛のプロフェッショナルの視点から述べていこうと思っています。


現実は基本的につらい


弱者男性が持っていないのは現実と向き合う力です。


世界は自分というフィルターを通してしか見れませんから、


現実というのは=自分自身と置き換えてもいいかもしれません。


じゃあ、現実と向き合う力を持っていないのが、弱者男性だけかというと、


そうでもありません。


心が弱っている人だってそのようになるかもしれませんし、


別に敷かれたレールに沿ってのんびり生きていって、うまくやってきた


人もいるでしょう。


ただ、シンプルに、そもそも現実というのは割と大変で。


どうなるかということが予測出来たらみんなこんなに苦労はしませんが、


要するに基本的には問題だらけなんですね。


だから、それをどのように解決していくか、を時々刻々と求められる。


そういう意味で、ずっと現実と向き合わずにいられるか、ということは


なかなか難しいんじゃないかなあと思います。


だから、向き合いたくなくても向き合わなきゃいけない時はやってくる。


その時どうしたらいいか、ということが肝心な気がします。


向き合うとは何か


向き合うとは、


①「相手と同じ方向を向き、相手の関心に自分も関心を持つこと」

②「相手の本質を知ろうとすること」

③「相手に対して責任を持つこと」

です。



相手と同じ方向を向く


「対象を否定しない」


ということです。


社会が悪いんだ、現実が悪いんだ、親が悪いんだ、女が悪いんだ


相手を否定すると、それと向き合えなくなります。



本質を知ろうとすること


「謙虚な姿勢で耳を傾ける」


ということです。


「勝手に推測して勝手に断定しない」


ということでもあります。



責任を持つということ


「誰かに頼るのではなく、自分の責任なんだ」


という気持ちを持つこと。


「出来なかったときのことをプレッシャーに感じるのではなく、

 何が来てもいいように準備をする」


と捉えること。



これらが合わさったものが、向き合う、ということです。



競争文化が嫌いだ、とか、女が嫌いだ、とか、


自分は悪くない、と意固地になったとしても、


このような姿勢を自分に向けたり、あるいは特定の誰かに


向けたことがないはずです。


そしてそれは、弱者男性だけではない。


このようなことが必要な時、


出来ていない時というのは、誰にしもあります。


だから、自分だけが弱いと思わないで。


みんなそんなものです。



終わりに


でも、考えないことには脱却できない。


自分の胸に手を当てて、ゆっくり考えてみてください。


決して、楽なことではないです。


すぐに解決することでもない。


でも、一度気が付いたら、必ず弱者は脱却できます。


そのような力が、弱者男性と揶揄される人たちにも、ちゃんとある


んじゃないかと、僕は信じています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?