過渡期の中で思うこと
最近、新500円玉を偶然ゲットできると嬉しくなります。
ただ、まだ新紙幣も流通しておらず設備費的なせいなのか、新500円玉を利用できるところは限られます。(バスとか使えない)
新紙幣は2024年度上半期を目処にしているそうで、もう少し待たないとですね。
さて、新紙幣が発行されるということで思ったことがあります。
もう私は万札を「諭吉」と呼べない。
私は今まで2万持っていたら「今諭吉2人いるんだよね」なんて言っていた人です。
これが新紙幣になると、「今英一2人いるんだよね」になります。
コスメでよく言う、1万円するファンデーションの呼び名「諭吉ファンデ」は、2024年度をもって「英一ファンデ」なのです!
違和感しかない
まぁ今まで生きてきた21年間、万札は福沢諭吉であったので違和感が生ずることは当たり前です。
ただ、なんとなく響き?語呂?が微妙。
多分「英一」よりは「渋沢」呼びの方が言いやすそうな気がします。
私は吉沢亮ファンなので、「渋沢」ならいっそのこと「吉沢」と言ってもいいような気がしています。(よくない)
まとめ
さぁ、こんな適当な話を今日は書いてしまいましたが、
結局言いたかったことは、
過渡期に自分が存在していることをふと猛烈に感じてなんだか不思議な感覚になったよ
ということです。
いつかおばあちゃんにでもなった時に孫にこの時代はこうだったんだよ〜って教えてあげたいですね。
その時のお札に描かれる人物は変わっているのかな。
どうなんでしょう。
なんにせよ、2024まで生きていないとザ・過渡期の感覚を現物と共に味わうことができないので、
事故等に遭わぬよう気をつけて生きていきたいと思います。(重い)
では今日はこんなところで。
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