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この飽きっぽい性格を愛せよ。

オレは自分は落ち着きのないヤツだと思っている。人生で仕事は9回変えているし、住居も20歳で独立してから19回(どちらもカウントに抜けが無ければ)変わっている。子供のころからずっとやっている趣味や習い事がある訳でもなく、長く深い付き合いの親友がいる訳でもない(一方で長く付き合っているだけの友達は沢山いる)。オンナは、そもそもモテた事がないので付き合った数は嫁さん入れて3人だけ。でも結婚前の二人とは3カ月程度しか続かなかった(一方で肉体関係のないオンナ友達は常にまぁまぁの数が回りにいる)。

一言で片付けるなら多分オレは飽きっぽい。これは大成する為には致命的な性格で、案の定、60歳を目前にしたオレは大したモノになってはいない。

それでもそれなりに真面目にやってきたので、自分で言うのも何だが、優秀かぼんくらか、といえば多分、優秀な部類に入ると思う。実際、9回変えた仕事に於いて、すべての会社やクライアントからは高い評価を得ているし、自分で手を挙げた訳でもないのに気がつくと職務がリーダー的なポジションになっていたりする(最も、営業系の人間が40超えて中途採用となると、日本では必然的に管理職しかない)。9回変えた仕事はクビになった1回を除きすべて自分がイヤになって辞めている。

この病気が最近再発している。

そもそもの考え方が間違っているのかもしれないが、オレは会社や住む町は金魚鉢だと思っている。オレが泳ぐ金魚鉢に飼い主が後からエビやらタニシやらエンゼルフィッシュやらを入れてくれば金魚鉢の環境は大きく変わる。その環境がオレが好んで入った環境でなくなれば必然的にオレにとっては住みにくい環境になってしまう。放っておけば死んでしまう。でも、オレが死んでも金魚鉢は残るしその環境に適した生きものはそこに生き続けるのだ。誰が悪いわけでもない。

そうして環境が変わっていき、「住みにくいな、、、」と思い始めると途端にこれまでやって来た仕事なり住んでいる地域なりが詰まらないものに思えてくる。そこで踏ん張って事態を改善しようとか自分が順応しようとかは思わず、「やーめた!」となる。でも恐らく、特に日本では、大多数の人が同じ場所に住み続け、同じ会社に通い続けている。ついつい周りと比較してしまい、自分の辛抱弱さ≒飽きっぽさに自己嫌悪になる。ましてやもう子供じゃない。むしろジジィだ。

逆によくこうしてこの年まで生きてこれたものだと感心する。そうして成り行きでポン、と会社を辞めたオレを必ず拾ってくれる別の会社があった訳だし、そんなオレを忘れずに久しぶりにでも会えば笑ってくれる人達が居たというのは奇跡に近い。

やはりオレはこの飽きっぽさを肯定できないが、それを変える事も出来なそうだ。恐らくオレはまた同じ事をする。本当は人生の後輩たちの手本とならなければならないような歳なのに。悪い見本にはなるか(笑)。せめて自分を愛そう。


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