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阿刀大足、事前工作として佐伯今毛人と空海を「橋渡し」

阿刀大足、事前工作として佐伯今毛人と空海を「橋渡し」

空海=真魚は大人の「ウソ」には本当は気づいていたと思うのよね!

15歳で、国学っていう讃岐の大学の学生やっていたんだから・・・

まぁ、親族の期待もあって、中央に出たいと思っていた・・・
とは思うの。

阿刀大足は伊予親王、桓武天皇の弟3皇子の侍講を
務め朝廷の高官であり、儒学者でもあった。

この大足の長岡にある屋敷に、大学受験までの3年間、
直接、大足から論語、孝経、文章等の漢籍、漢文で書かれた
唐の書物を学ぶことになった。

今の受験勉強である。


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大学に入って卒業し、官僚登用の国家試験を受けて、中央の官僚なり、やがては佐伯今毛人のような高位高官に出世して
生家である佐伯家の興隆に貢献するためだった。


つまり、エリートコースに乗せるためだった!


この頃の平城京は都ではないが、鮮やかな青や赤で塗られた
異国情緒たっぷりの七堂伽藍が立ち並び、三重、五重、
七重の塔が天空をついていた。その屋根は立派な瓦で吹かれていた。

この時代の地方の農耕民の住居の多くは、地面を掘って草ぶきの屋根を
被せたようなものであり、屋根が瓦で葺かれているものは
数少ない寺と国府の官庁くらいだった。

それだけに、地方から上京してきた真魚は、大きなお寺の絢爛豪華な佇まいに圧倒され息を飲んだことだろう。

大足は真魚を、佐伯今毛人が建てた氏寺、佐伯院に連れて行った。

氏寺とは祖先は祭り、繁栄を願って建てた個人の寺のことだ。

佐伯院は五条六坊にあり、南都七大寺の一つ、東大寺まで歩いて1時間の所にあった。

また西に30分も歩くと、800名を超える僧が居住する
大安寺がある。大安寺は仏教文化交流の中心的存在となっており
唐唐から入ってくる最先端の技術や知識の宝庫だった。

ほどなくして大足と真魚は、佐伯院を後にし山城の長岡京へ向かい、
1日かかって大足の屋敷に落ち着いた。

大足の行動は真魚を連れて、わざわざ「顔つなぎ」をしに行った
と私は推察する。

なにせ、大足は60歳オーバー、今、社会的地位のあるうちに
この佐伯直の真魚を佐伯今毛人と結びつけ、後々のために「後ろ盾」となって、もらうために顔つなぎをした。

と言えるのではないだろうか?

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