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『となりのトトロ」、まっくろくろすけは素粒子だよね?

『となりのトトロ」、まっくろくろすけは素粒子だよね?

熊本の「雨宮神社」を教えていただき、トトロの森「懐かしいなぁ」と、『となりのトトロ』を昨夜、何年振りかで観ました。

さつきとメイが引っ越しした田舎の家にいたのは「まっくろくろすけ」という謎の生き物。このまっくろくろすけ、光の素粒子フォトンのように、見てると静止して、見てないと活動する。まるで、「だるまさんが転んだ」そのものの、素粒子の動きじゃありませんか!

おばあちゃんが言うには、人がいないと住みついて「煤」をまき散らしたりしているそうで、おばあちゃんも子供のころは見えたけど、いつごろからか見えなくなった、と言っています。

子供のころは見えないものでも、見えると信じることができる「第六感」が鋭敏で、それが生存本能を助けているのですが、成長の過程で、「経験」する事を積み重ねていくので、いつのまにか、私たちは「記憶」から導き出した行動を無意識にするようになっていくんですよね。

だから、そういう点でも小6のさつきよりも、メイの方が先に「まっくろくろすけ」や「トトロ」を発見したりする。本当に上手くできてるわぁぁぁ!と昔とは違う見方をしちゃう。

5歳の孫は、井戸なんて見たことも無いけれど、全く違和感なく「トトロ」の世界に入ってました。実は「トトロ」より先に、『ズートピア』by ディズニーを見ていたんですが、「面白くない!トットロにして!」と変えたの。

くだらないけど、ディズニー映画より、ジブリ映画に軍配があがったのは、嬉しいです。やっぱり、外国の事より、日本の事を先に知って欲しいから。

保育園でトットロの歌を聞いてきたのか、首を振り振り、どんぐりのダンスも一緒にしちゃって・・・イキナリ木の芽を出させたり、その木がワサワサ成長して自分達の住んでいる家よりもでかくなって、不思議なはずなのに、
そうじゃないのか?その二つの並行したパラレルワールド、「見てる自分」「物語の中に入っている自分」という二つの世界を同時進行させてる・・・

メイが行方不明になった時は
「ダメだよね!ひとりで遠くに行ったりしちゃ!」
なんてこともお喋りしながら、
入院中のお母さんへの手紙のところでは
「おかあさん、病気にならないでね!オレ淋しいから」
なんて言って、大人はジーンとしたりしてました。

小6のさつきが書いた母への手紙

「トトロ」では、メイがトトロと出会ってからは、奇跡があっち側とコッチ側の世界をクロスオーバーして、現実と被っている。大人でも3時間はかかるという、お母さんの入院している病院に「トウモロコシ」にメッセージを添えて届ける所は、泣けた!

この時代は電報が至急の要件に使われていたこと、ツイッターより文字数少ないし、「至急」の重みが違ったなぁ、と年寄りの感慨を感じつつ、「子供からの手紙」に涙する母親の気持ちも切なくて、久々に「気持ちのイイ」涙で、介護で疲れがちな心がチョッピリキレイになれました。

今日は名古屋に

JR東海道本線の電車内の広告

用事で出かけたら「ジブリパーク」の吊り広告があって、マスクの下で「ウフフ」とニッコリしたのでした!


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