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私は絶望して失望してちょっと希望

障害のある長女を育てて、はや51年。
長女51歳。
さぞや、母親としてしっかり生きているのだろうと思う人もいるようですが、実は、まだまだ、(もしかして、もう)ふらふらです。

絶望の淵からは、全く抜け出すことができず、毎日、失望の連続です。
なぜなら、長女は、毎日変化し続けており、その都度、障害の現れ方が違っているので、「昨日と同じ」ではないからです。

朝の起こし方も毎日違います。
相手の出方を見て、音楽かけたり、お化けごっこしたりするのですが、躁転の兆しが見え始めると、そんなにのどかなことやっていられなくなります。

てんかんの発作はでなくなったので、そこはうれしいですが、その分
躁病の症状が出始めたのが、成人してから。
子どものころから、易怒性とか、気分障害とかはありましたが、激しい症状は成人してからです。

子どもが小さい頃は、毎日が精一杯だったこともありますが、大人になった障害のある長女のイメージが良くつかめておらず、楽観的にも、医療と教育で、少しずつ良くなっていくのではないかなどと、希望的観測をしていました。

でも、そうではないのですね。
大人になっても、知的障害は知的障害だし、こだわりはますます強くなるし。
体は親より大きくなるし。
成長した部分と、自分でもうまくコントロールができていない成長していない部分が、まぜこぜになって、いらだちを感じたり、人に当たったり(母親にあたる)します。

それをもろに、受けるのが母親です。
毎朝、毎晩、家の中でも、外を歩く時でも。
強い攻撃や、暴言を受けると、そしてそれを言っているのが我が子でも、母親は強いダメージを受けます。
私は、ケアの中でも、心的外傷を受けることがあると思ってます。

だからめちゃめちゃへこむのです。
へこんで、落ちこんでも、仕方がないのです。
私が弱いのでもなく、母親として失格なのでもなく、よくやっているからこそ、へこむのです。
へこんだら、内側から、力を出して、へこみを直せばいいのです。
えいやっ。えいやっ。

そういう、治し方を覚えてきた私は、ある意味で、成長したのだと思います。
絶望しても、失望してもいい。
そうはっきり言い切ることもできます。
絶望と失望の森を、思い切り深く深く沈み込んだら、浮かび上がります。
そして、また歩き出すことができます。
それほど、幸せではないですが、まあまあ、今日は何とかやり抜けそうという、ささやかな希望を持つことができます。

でもこれも、今日一日。
明日はどうなるかわかりません。

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