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私の隠れ家

私は本当は、一人で静かに過ごすのが好きだ。
しゃべらなくていいのなら、ずーッと黙っている。
小さいときは、何もしゃべらず、友達が一人もいなくて、家の中でじーっとしていた。

大人になって、とてもとても大変な障害児育児をすることによって、社会的なスキルを否応なく身に着けることができ、まあ、仕事や育児がなんとかできているので、限りなくASDの特性を持った成人という診断を受けている。

私の脳の中には、パソコンのように、ファイルがたくさんあり、その中に75年間に蓄えられた、膨大なデータベースがある。
そこから必要なことをものすごい早い速さで検索する。
他者からの質問に答える時、即答は出来ず、間があいてしまうのは検索しているからというのもあるが、私は言語優位ではなく視覚優位なので、すべての物事を映像で処理しているからでもある。
つまり、検索した映像を、さらに言語に置き換えるという作業があるので、質問には即答できない。
話し方は必然的にゆっくりになる。

そういうわけで、おしゃべりだとか、雑談は苦手で、できるだけ避けている。しかし、会議はできる。

けれども、生きている限り、社会生活をしている限り、突然に他者から話しかけられたり、話し好きの人につかってしまうことがあるので、困惑する機会は多い。
そのような暮らしの中で、最も苦手なことは電話であるが、今はメールやラインがあるからとても楽だ。
電話のように耳からだけの言語の情報だと、聞き取れるかどうかがとても不安で、必死にメモをとって、最後に確認をさせてもらっている。

そんな私にとっての救いは映画である。
映画はいい。映像をそのまま受け止めればいいのだから。
画面の細部、衣装や小道具、景色、表情、町の様子、丸ごと見ている。
難解とされる映画でも、セリフが無い映画でも、なんでも大丈夫。

疲れたときは映画を見たり、編み物をしたりしてストレスを減らしているが、どうしようもないときは、隠れ家に籠る。

その隠れ家の中で、自分に戻る。
現実社会で生きていると、酸素不足の金魚のようになってしまうので、たった一人になって、息を思いっきり吸いこむ。
体をまっすぐ伸ばして、心を広げる。
無理ばかりしている私の心は、がちがちに固まってしまっている。
まあ、しかたないか。
自分を世の中に合わせているんだからね。

そうして、一人になって、自分を取り戻す。
その隠れ家は、誰にも見つからない場所にある。
プー横丁かもしれないし、秘密の花園かもしれない。
そして、いつでも、どこにいても、隠れ家にワープできる。
時空をも超えている私の隠れ家。
世界で一番大事な安全な場所。

プー横丁の家
ロギンス&メッシーナ
プー横丁の家
ニッティ・グリッティ・ダートバンド


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