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迷彩ユニフォームの人気は浮上するか?日本代表史上最悪のユニフォームと流血スタジアムの記憶

「日本晴れ(ニッポンバレ)」をコンセプトした迷彩柄の日本代表ユニフォームのサポーターからの評判が悪い。日本サッカー協会の田嶋会長は「スタジアムで着ている人もいて、売り上げもかなりいいと聞いている。若者受けする感じで、カジュアルにも着れそうですね」と話していることから、スタジアムで応援するサポーターよりも、渋谷に代表される街でテレビ中継を楽しむ若い世代を意識したデザインだと思われる。

日本代表のユニフォームといえば青だ。

サムライ・ブルー・・・しかし、赤い日本代表ユニフォームの時代があったことをご存知だろうか。ロンドン五輪のときのセカンドユニフォームの話ではない。90年代のバンコクの裏道で「ニューカラーあるよ」と客引きして販売していた色違いの日本代表ユニフォームの話でもない。

真っ赤な代表ユニフォーム。そして監督解任運動と流血のサポーター衝突があった。

日本代表のユニフォームが赤だったことがある。1988年から1991年だ。通称「横山全日本」と呼ばれる横山謙三監督の時代だ。日本のサポーター史を振り返ると、このユニフォームの時代は大きな2つ事件があり、さらに、ワールドカップアジア地区予選一次リーグ敗退。忘れることができなユニフォーム となっている。その割には、ユニフォームの歴史的視点で無視されがちなのが、とてつもなく評判が悪かったからだろう。日本代表史上最悪のユニフォームとされている。

日本サッカー史において、最も大きなサポーター衝突事件が発生した。

日本代表は、この赤いユニフォームでFIFAワールドカップ1990イタリア大会アジア地区一次予選に臨んだ。最大のライバル北朝鮮代表とのホームゲーム(国立競技場)に約4万人が駆けつけた。しかし、その半数近くは朝鮮学校の生徒を中心とする北朝鮮サポーターだった。隔離入場や緩衝帯といったものが日本には導入されていなかったため、成り行きで、バックスタンドの通路よりも前に北朝鮮サポーターが、後ろに日本代表サポーターが陣取るという席割りになった。多数の警察官が警備に投入され、念入りな持ち物検査を経てサポーターはスタンドに入場した。しかし、バックスタンド中段付近で大旗を振る北朝鮮サポーターに対して、スタンド上段から「見えない!」「旗をどけろ!」という声が飛ぶなど、試合中も怒号が渦巻き、各所でトラブルが勃発。遂には、試合観戦そっちのけでの大乱闘となる。

警察機動隊の介入により大惨事は免れたが多くのけが人が発生。私の目の前でも頭から血が吹き出す小学生くらいの子供がいた。赤い日本代表ユニフォームと真っ赤な鮮血はセットで記憶されている。

屈辱のアジア地区予選一次予選敗退。

横山全日本は、この試合を逆転勝ちするが、その後は神戸で香港代表とスコアレスドロー。アウェイでは1勝もできずに、あっさりと一次予選で敗退した。

さらに酷かった1990年。ついに日本サッカー史上初の監督解任運動へ。

もう一つの大きな事件は監督解任運動だ。1990年に開催された第1回ダイナスティカップは韓国代表、北朝鮮代表、中国代表に3連敗。しかも無得点という無残な成績に終わる。1990年北京アジア大会ではラモス瑠偉、三浦知良を初招集するものの、日本代表はバングラディッシュ代表にしか勝てず敗退。これまでは、どんなに勝てなくても暖かく声援を贈っていたサポーターがついに激怒。日本サッカー史上初の監督解任運動「横山やめろ」が始まることとなった。

ユニフォームのイメージはチームの戦績ともリンクする。

1988年から1991年の赤い日本代表ユニフォームは、過去の日本代表ユニフォームの中で不人気ナンバーワンだ。もちろん、青ではなく赤を使用したことがサポーターの反発を生んだことが発端なのだが、さらには、全く勝てなかった戦績が不人気に追い討ちをかけている。

果たして迷彩ユニフォームの人気は浮上するのか?赤い日本代表ユニフォームと並ぶ不人気ユニフォームとなるのか?東京五輪の結果次第かもしれない。


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