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「部活」と「侍」から考える日本代表の逃げ切りパス回し。

日本代表の逃げ切りパス、西野采配の話題は試合から数日を経ても街の話題。テレビ番組でも多くのディスカッションが行われている。NHKでは、通常は政治経済に関するテーマを討論するテレビ番組「日曜討論」で、この采配をテーマにした討論を放送した。TBSでは、サンデーモーニングで張本勲が「西野監督に喝」。「不本意だとか、苦渋の選択とか言っちゃダメよ、監督は。私が指示しました、それだけでいいんだよ。」と采配を支持しながらも、その采配をネガティブに釈明した西野監督を批判した。

日本代表の逃げ切りパス回しの支持率74%。しかし、そうはいっても、多くのサポーターの心の中にモヤモヤが残っているようだ。

ここで、心の中に残るモヤモヤの原因を考えて見た。

一つ目の視点は「部活」経験が与えるモヤモヤ

多くの日本人は、学生時代に部活でスポーツや体育を経験している。ここでの経験は大人になっても見にしみているものだ。私自身は部活でのスポーツ経験は短期間しかない。その代わりに小学生時代に松山SSで少年サッカーを3年間経験している。全国大会への出場は逃したが、静岡県清水への遠征試合を経験。また松山SS内の小学校別に年間を通してのリーグ戦とカップ戦を闘った。リーグ戦では下位チームではあったが、最下位にならぬために、どのチームとの対戦が重要であるか等、小学生ながら勝ち点計算をしながら1年間をプレーした。

部活のベースにはトーナメント戦やノックアウト方式の大会がある。

日本の部活の活動目標は全国大会進出といった一発勝負の大会で勝利すること。負ければ終わり、負ければ引退といったシュチュエーションでの試合を重ねてきている。

目の前の試合に全力を尽くし、対戦相手に一対一の勝負で勝つことが目標となる。

一方でリーグ戦、特にノックアウト方式に進出するためのグループリーグは全ての試合を終えることで一つの試合が終わるような形式だ。つまり、目の前の相手に勝つことは最終目的ではなく手段。「グループ内のすべてのチーム」よりも勝ち点を上回ることが最終目的となる。その場合は、試合は目の前の対戦相手と行なっているが、競い合う相手は「グループ内のすべてのチーム」なのだ。部活で伝統的に多く行われてきたトーナメント戦やノックアウト方式とワールドカップのようなリーグ戦では、試合に臨む目的と競い合う相手が異なるのだ。

部活経験から「目の前の相手に勝つことが最終目的」という価値観を身に染み込ませてきた人が、どうしても「目の前の試合では負けているのにも関わらず逃げ切りパス回しをすること」に対して、心にモヤモヤしたものを残してしまうのは無理もない。

もう一つのモヤモヤの原因を考えてみる。日本代表は「サムライブルー」とオフィシャルでは呼ばれている(野球の「侍ジャパン」と混同されることが多い)。

二つ目の視点は「侍」らしくないというモヤモヤ

皆さんは侍のイメージをどのようにお持ちだろう。忠義、正々堂々、修練・・・。それらのイメージは支配者層側からの「侍はこうあるべき」というイメージだ。例えば切腹。切腹は許された者のみに与えられる(または名誉を守るために行う)名誉の死の手段。ほとんどの侍は切腹などしない。する機会も与えられない。

「侍」という文字を与えてしまったが故に、日本代表の闘い方に足かせをしていないだろうか。

民衆(町人、農民)側から見た侍の印象は、かなり異なる。例えば、映画「殿、利息でござる!」では侍の融通の利かなさに、宿場町の町人は翻弄され、生きるか死ぬかにまで追い詰められる。

江戸時代から民衆のためのエンターテイメントであった歌舞伎(特に世話物)に登場する侍の多くは無責任、恩知らず、不正に手を染める、といった役柄だ。

魚屋宗五郎は「妹が無実の罪で手討ちになったと聞き、断っていた酒を呑んで酒乱となって妹を殺した殿様の屋敷に乗り込む」という話。

極付幡随院長兵衛のクライマックスは「町人の長兵衛が侍の策略にハマり丸腰で風呂に導かれ、卑怯な方法で侍が長兵衛を襲う」という展開になっている。動画は、そのクライマックス14分間なので、いかに侍が卑怯な奴らだと民衆に思われていたのかを見てほしい。

支配者層側から見た「侍はこうあるべき」というイメージをベースにしてサムライブルー(日本代表)を見れば、心のモヤモヤは解けないだろう。

日本代表の逃げ切りパスについて賛否はある。ディスカッションを交わして、どちらの意見が100%正しいという結論は出ない。サポーター論争において一つ考えておくと良いのは、人の考えには、何かしらの背景や環境が左右するということだ。それも理解した上でディスカッションすると、日本サッカーはさらに面白くなる。



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