見出し画像

VAR(ビデオ判定)でマリーシアを無くしてはならない。

FIFAワールドカップ2018ロシア大会では大会初めてVAR(ビデオ判定)が採用された。流れの中では見逃されていた反則がビデオアシスタントレフリーからの指摘で主審に連絡され主審がPK判定を下したり、逆にPK判定を主審が取り消すなど、これまでにはなかった驚きのシーンが生まれている。そして「ビデオアシスタントレフリーが見ている」という意識からか、主審から見えない場所でユニフォームを掴んだり、ファールを得るためにわざと倒れたりする審判を欺く行為が激減した。そして、その効果で迫力あるゴール前の競り合いが増えるなどして、今大会は史上最高の大会になるのではないかと評判だ。

「VARでマリーシアは無くなる」という声がある。

多くのサッカーファンは、悪質な反則、審判を欺く行為に飽き飽きしてきた。大会が進むにつれてVARを支持するサッカーファンが増加している印象だ。ところで、マリーシアとは何なだろう。

日本にマリーシアを初めて紹介したのはオスカー(FIFAワールドカップ1982スペイン大会ブラジル代表主将)。

1987年に日産FC(現横浜F・マリノス)に加入したオスカーは雑誌のインタビューで日本のサッカーに不足しているものとしてものとして「マリーシア」を提示した。日産FCはオスカーによって導入されたマリーシアも使い、日本サッカーリーグを初優勝。さらには2年連続3冠制覇、アジア連覇と黄金時代を迎える。

過去に来日した外国籍選手で「マリーシア」について発言しているのはドゥンガ(FIFAワールドカップ1994アメリカ大会ブラジル大会主将)とジーコ(FIFAワールドカップ1982スペイン大会ブラジル代表でオスカーとチームメイト)だ。

ドゥンガはオスカーと同じく「日本人にはマリーシアが足りない」という意味の発言をしている。ジーコは「マリーシアが最も身についている日本人選手はカズだ」と発言している。

マリーシアが最も身についている日本人選手はカズ!?

ここまで読んだところで「おやっ?」と思った人がいるだろう。カズがマリーシアってどういうこと?カズは反則をほとんどしないし、日本を代表するフェアプレーの選手なのに・・・。

オスカーが雑誌で発言したとき、マリーシアは「ずる賢さ」と訳された。この「ずる」が曲者だった。日本には、マリーシアを「賢い」ではなく「ズル」だと思い込ませる風土があったのだ。今、振り返って考えてみれば、1980年代の日本サッカーは「賢さをよしとしない」正々堂々と真正面から打ち合うような馬鹿正直なプレーが好まれていたのだ。だからオスカーの発言を通訳する際に「ズル」という単語が「賢さ」に付け加えられたのだろう。

「シャツを掴む」「シミュレーションで審判を欺く」「見えないところで肘打ちをする」といったずるいプレーは「マランダラージ」と呼ばれている。

つまりVARで消滅するのはマリーシアではなく卑劣な「マランダラージ」であるはずだ。これはマリーシアとは、全く異質の行為だ。しかし、日本では長くマリーシアと「マランダラージ」を混同する人が多かった。

今でも「日本人にはマリーシアが足りない」。

ではマリーシアとは何なんだろう。オスカーが発言した当時の日本サッカーは1-0でリードをしていても試合終了まで真正直に攻め込むことが当たり前だった。状況に合わせて時間を使いながら試合を組み立てるという発想がなかった。相手の力や前掛かり具合を利用して逆を突いてボールを動かすことも出来なかった。例えばイエローカードを1枚もらっている選手にあえてドリブルで突っかけることでファールを誘い2枚目のカードを出させようとすることも、後ろでボールを回して相手が前に獲りに来たタイミングで縦パスを入れるようなことも稀だった。いわゆる「自分たちのサッカー」だけをやろうとしていたのが日本サッカーだったのだ。だから「日本人にはマリーシアが足りない」という発言があったのだ。

「日本人にはマリーシアが足りない」と言われるのは、もう過去のことだと思い込まれていた。しかし、どうやら、今でも「日本人にはマリーシアが足りない」らしい。「自分たちのサッカー」という言葉がFIFAワールドカップ2014ブラジル大会以降にサッカー界では流行となっている。でも、サッカーには対戦相手がいる。対戦相手の出方に合わせて賢くプレーすることが必要なのだが、まだ日本では正々堂々と「自分たちのサッカー」をやりたいという考えが根強く残っているのだ。

ブラジル代表の2得点目こそ、選手とサポーターが一体となって繰り出したマリーシアの賜物。

ネイマールが得たと思われたPKが取り消されたことで話題になったブラジル代表×コスタリカ代表でブラジル代表のマリーシアが発揮された。91分に待望の先制点を得たブラジル代表はピッチ全体を使ってボール回しを始めた。コーナーキープよりも賢く時間を使える戦法だ。スタンドのブラジルサポーターはパスが回るごとに歓声をあげてプレーを支持。逆にコスタリカ代表はボールを奪えないこともあって苛立ちを隠せなくなる。守備陣形を崩してまでボールを奪いにいくコスタリカ代表。ゴール前の守備が手薄になったところで、ブラジル代表は時間稼ぎからプレーを切り替えて2点目を奪い試合の決着をつけてしまう。もうコスタリカ代表に2点を追いつく力は残されていなく勝利を確信する。これぞマリーシアで勝ち切った試合だった。

日本人の多くはマリーシアを誤解してきた。ただ言葉を誤用していただけでなく、誤用の結果、マリーシアは軽視され、身につけなければならない「賢い」プレーや老獪な試合運びが出来ないチームや選手が多い。まだまだ日本人には学ぶべき点がたくさんある。ブラジルサポーターのように、マリーシアを後押しする応援があって良い。

VAR(ビデオ判定)でマリーシアを無くしてはならないのだ。

「サポーター3年生からの日本のサポ論」ではサポーターの審判や判定に対する感情や意見についてアンケート調査を実施しまとめています。kindle端末がなくてもiPhoneやPCで読むことができます。



ありがとうございます。あなたのご支援に感謝申し上げます。