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この幸福を失いたくない、という漠然とした不安感

11月のはじめに息子を産んでから、どうにも涙脆い。

もともとわたしは子ども好きというわけでもなかったので、自分が我が子をしっかり愛せるのか、正直なところ自信がなかったのだけれど、それは杞憂に終わった。息子はとてもかわいいし、愛おしくて仕方がない。

その愛おしさゆえ、時折よくわからない不安感におそわれては、はらはらと泣いてしまうのだ。
自分でもおかしな話だと分かってはいるけれど、今抱えている愛おしい存在が、不意にいなくなるんじゃないか、と勝手に悪い想像をしてしまっては、ぼろぼろと泣く。

はじめは、疲れているから涙脆くなったんだ、と思っていた。
育児は想像以上に大変で、子どもの誕生により生活は一変した。予定どおりに物事は進まないし、まとまって眠れないから体力的にきつい。だから、頭もまわらないし、よくないことだって考えてしまうんだ、と。頭のなかでぐるぐると悪いイメージを思い描いてしまうんだ、と。
もう産後ひと月は経つし、身体的な疲労はかなり癒えたと思う。少しずつ息子との生活にも慣れてきて、心のなかに余裕も少しは生まれてきた。それなのに、時折なんの脈絡もなく、幸せが消えることを想像してしまい、ひとり泣いている。

特に多いのが、夜にひとり、息子と向かい合って授乳をしている時。
「ああ、かわいい」「一生懸命に生きているんだな」と幸せと愛おしさを噛みしめながら、もうひとりの自分がぐるぐると不幸なことを考え始めている。
もし目が覚めた時に、これが夢だったら。何か悪いことがあって、夫や息子がわたしの人生から消えてしまったら。
自分では抗えない力によって、わたしの幸福が失くなってしまうことが恐ろしいのだと思う。

すべてはこの小さく、愛おしい存在を失いたくないからだ。今のわたしが巡り合ったこの幸福が、消えてしまうんじゃないかという、漠然とした不安感によるものなのだ。

マタニティブルーともいうし、この涙脆さというのはたぶん一過性のものだと思っている。
(とはいえ妊娠中は、しっかり出産できるだろうかという不安は常にあったけれど、ここまでの極端な気持ちの落ち込みは無かった。人それぞれなのだと思うけれど。)
そもそも産後に限った話ではなく、これはこれまでの経験上によるものだけれど、夜にひとりで考え事をして良い結果が得られた試しがない。大抵はぐるぐると悪いことばかり考えて、心配がつのったり、辛さが増すだけなのだから。

息子との日々がわたしにとって当たり前のものになれば、この不安感から抜け出すことができるんだろうか。今はまだ、ぼろぼろと溢れる涙の止め方がよく分からない。
だけどわたしが涙をこぼしている時に限って、息子がじいっとこちらを見つめていたりするものだから、そのたびにほっとする。
約5キロの小さな存在に、今日もわたしは救われている。

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