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空に浮かぶ

これも勉強だと思って引き受ける事にした。
とある施設で、お母さんが迎えに来るまで半日ほどお相手をする。

「こんにちわ」と挨拶すると元気よく「こんにちわ!」と返ってきた。
ニコニコ笑っている。
(良かった、素直そうな子だ)と思っていると、そこへ「オオヒラを呼んでこい」と一人のお爺さんが口を挟んできた。

「ちょっと待って下さいね」とお爺さんに言って、施設のPCを借り(ほんのたまにしか入ってないが、バイトなので一応私も非常勤ながらここのスタッフではある)名簿リスト的なものを確認したが、スタッフにも施設の利用者にも”オオヒラ”という人はいない。

*非常勤で個人データにアクセスできんのかよ、と思われるかも知れないが超零細規模で一応ウィルスソフトは入っているが、情報リテラシーはあまり高くない所は一つ目を瞑っていただきたい。
一つ言い訳をすれば私が昔15年ほどIT業界にいたので、徒歩圏に住んでる為PC関連の相談ごとの方でバイト以上に深く頻繁に関わっている、という背景もある。

大体どういった事か見当は付くが、見当だけで適当に答えるわけにもいかず、ボランティアで初めて来たという近くのスタッフさんもお爺さんの事情についてはよくわからないという。

「オオヒラさんはここにはおられないみたいです」と言うとお爺さんは、「ここじゃない」と。
「目の前の官邸にいるはずだから、呼んできてくれ」という。
「カンテイ?と言いますと?」
「首相官邸だよ、すぐ真ん前の。その目玉は飾りか?」

目の前にあるのは団地だ。
築40年ほどだろうか。
大分くたびれている。

多少イライラしているお爺さんをなだめつつさらに話を聞いてみると、どうも大平元首相の事を言っているらしい。小学校の時の友達だという。

ちなみにこの後、再度PCを借りて調べたが、故・大平元首相は香川県出身(二度大学に行っているが、一度目の大学まで同県にいた)、お爺さんは青森県出身で二十歳を過ぎてから東京に出てこられている。

私は「とりあえず警備に言って、オオヒラさんに伝えてもらいますね」とお爺さんに言った。
するとお爺さんは「ケイビ?」と不可解な顔をする。

(それはこちらが浮かべたい表情なんですけど)と思いつつ、「はい、首相ともなると警察が身辺警護で警備してますから」と言うやお爺さんは、「イカ焼きを半分も食い残す奴が、近衛隊を使うとは何事だ!」と怒り出した。

(いや近衛隊じゃなしにね、それにイカ焼きと何の関係が?)と思いつつお爺さんをなだめていると、ベテランのスタッフさんが来て「どうもすいませんねぇ」と言いながら、お爺さんを連れて行った。

勘弁していただきたい。
こっちは今日、それどころではないのである。

お爺さんと話してる間、近くの椅子に座って瞬きもせず、お爺さんと私のやり取りを目を見開いて好奇心満々にじぃっと見ていたこの4才の女の子の話相手を、半日ほど勤めなければならない。

冗談ではない、と逃げ出そうとする気持ちを何とか抑えこまなければならない時に、にわかイタコになって大平元首相を草葉の陰から呼び戻している暇などない。

(呼び戻した所で、『え~・・あ~・・その方はぁ・・う~・・存じ上げないわけでありまして・・そのぉ・・え~・・』と詩吟をうなるように言われるだけだろう)

「オオヒラさんって誰?」というその子に「私もよくわからないんですよ」と答えながら、こういった場所に初めて来たという4才の子をここに置いておくのがいい影響を及ぼす事もあるが、取返しがつかないような悪い影響を与えられる可能性もゼロではない、と考え、女の子を外に連れ出す事にした。

出入口の玄関先でお話したり、近くの公園に行ったりして過ごしたのだが、(一体何を話せば良いのだ?)と緊張していたからか、何を話したのかあまりよく覚えていない。

思い出すのは何回か繰り返された、玄関先で女の子と話していると「オオヒラはまだか?」と出てくるお爺さんを先ほどのベテランスタッフさんがニコニコ笑いながら施設内へと連れ戻すのを脱力した笑顔で手を振り見送る私、という場面ばかりである。

よく質問をされた事は覚えている。
こんな事を聞かれた。

「ねぇ、雲って何で形がないの?」
私は笑顔(のつもりだった)を浮かべながら、答えようとした。
「そ・・・うですねぇ・・」
刷毛で擦ったみたいな何かのきれっぱしのようなのが、天気のいいその日の空にも浮かんでいた。

「あれはあれで形なんですよ」
「あれは形じゃないよ、模様だよ」
「も・・ようですか・・なるほど・・」
「ねぇ、なんで形がないの?」

「ええっと・・水蒸気というものがあってですね、目に見えない小さな小さな粒なんですが、それがこう、空に一杯あって、空が寒くなると凍って固まる・・・その小さな塊がいくつも集まって雲になるんです。だから小さな粒がいくつも集まって”形”を作ってるんです、ただ小さな粒がいくつも集まってできるから一つの決まった形にはならないんですね。今空に浮かんでいるあんな風なのや、全く違う、綿菓子みたいなのになったり、小さな粒の集まり方が一定ではないので、決まった形にならないんです」

「何言ってるか全然わかんない」
「・・・ですよねぇ」
「あれ模様だもん、形じゃないもん」
「そう・・なんですねぇ」
「うきゃきゃきゃっ」

いやうきゃきゃきゃじゃなしにね・・・形じゃなく模様だという発想が見事なんだけどね・・・。

でも、雲が形であるという事を論証せよ、と言われたら答えられないではないか・・・。
そもそも形とは何だ?それに形と模様の違いって何だ?
立体と平面、つまり三次元と二次元の違い、という事で説明した事になるんだろうか?

”雲にはなぜ形がないのか?”
もしかしたらこれは形而上学や幾何学のテーマとなる命題かも知れない。

きっと当意即妙な答えがあるのだろうが、それこそ雲をつかむようで思考は空回りをするだけ・・・何も浮かんでこない・・・。

夕方近く、そろそろお別れという頃、こんな風に言われた。

「ねぇ、何でわたしが何か聞くと困った顔になるの?」
「へ?困った顔になってますか?私?」
(常に笑顔を浮かべるようにしていたはずだが)
「うん」
「そう・・・ですかねぇ?」
「ほら!」
「え?」
「うきゃきゃきゃっ!」

いやうきゃきゃきゃじゃなしにね・・・困ってはいるかも知れないけどそれは言えないし、困ってるわけではないからね・・・。

迎えに来た、既に友人に近い顔なじみでバイト仲間のお母さんが『助かりました』と深々と頭を下げるのに、『よして下さいよ、僕も楽しかったです』と言うと、『またお願いしてもいいかしら?』とお母さんは言った。

心中、ぐったり疲れていたが私は即座に笑顔を浮かべ、『え?ええ!是非!いつでもどうぞ!』と言った。
傍で私を見上げていた女の子が『うきゃきゃきゃっ!』と笑った。

どなたか、”なぜ雲には形がないのか?”
いい答えがあったら是非教えていただきたいです。



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