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心が痛む、感情を分ける

昨日は土用のせいもあってか姉と家の掃除の件で一悶着あった。私が「(人にものをあげる時には)センスが良いものじゃないと」と言ったら、「それは違うでしょ。センスが良いものじゃなくて相手が気に入るものでしょ。あんたのその『センスが良い』ってのは自分のセンスが一番だと思ってて見下している感じがする。そういうのあんたが損するよ。」と言っていた。

その時のモヤモヤはまだ引きずっている。引きずっているということはまだ気にしている。似たようなことが前にもあったからだ。生活保護家庭の子の居場所で働いていたとき、勉強を教える時に、「あなたは勉強のできない子の気持ちがわからない。バカにされた感じがする。」と同じスタッフの人から言われたことがある。

何か、負の感情が生まれた時には、結構関連して思い出すことがある。解けないパズルのピースのようだ。モヤモヤしているのは、図星の部分もあるし、今までの人生でそれで失敗していることも結構あるからだと思う。自分は、そうでないように気をつけていても、自分の価値観を他人に押し付けてしまうところがあるようだ。あるいは、「上から目線」と言われることが結構ある。例えば、言葉の発音とか、言葉一つでもってしてもそういうことを言われるので、悪気はなくても、発言の判断のしどころに迷う。というか、発言してから謝ることが多い。言う前によく考えない。

発言の上から、とか下から、の座標を見誤りがちだ。「年上の人への敬意の気持ちが足りない」とも言われたことがある。自分で書いててだんだん悲しくなってきた。

NVCというものがあるNon violent communicationの略だけど、非暴力コミュニケーションとか、共感コミュニケーションと言われる。自分はまだまだ勉強途中だけど、興味があって、これから深めていきたいなと思っている。

NVCで教えてもらったことの一つに、「感情」を取り扱う時に事実と判断・ジャッジとを分ける。というのがある。

例えば、見捨てられた、裏切られた、いじめられた、無視された、虐待された、脅された、誤解された、軽視された、見放された、誤解された、騙された、利用された

というような言葉は感情と間違えやすいが、特定の相手がいて、自分の思考が入っている。「見下された」「バカにされた」も同じ部類に入るのかな?

とにかく、相手が感じた「感情」と「判断」を分けること、自分が感じた「感情」と「判断」を分けること、さらに相手の「感情」と自分の「感情」を分ける必要がある。というのは初心者ながらにわかるのだが、その感情と判断が一緒になったものをくらった時の対処の仕方がまだわからない。しかも図星なところもあって気にしてる自分もいるし、「俺は悪くねえ!」って強力に叫んでる自分もいる。

「傷つけられた」のではなく「心が痛む」と言い換えた方が良い、というのは聞いてて納得する。同じ言葉を言われても「傷がつかない」人もいるからだ。

まずは「自己共感」から始めるのが良い、というけど、この「自己共感」というのがなかなか難しい。とにかく、心が若干痛んだということにしておく。まだパズルのピースが解けないので保留。

冒頭の写真はEero-Jaernefeltさんという人の絵で、こういうモヤモヤした時に眺めると若干心が落ち着く効果が私にはあるみたいです。絵ってすごいなあ。

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